Saturday, June 28, 2014

喜んでいるわけ

「 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 Iテサロニケ5章16-18節
 ピリピ人への手紙が喜びの書簡と言われていますが、それは、その文章の中に「喜んでいなさい」という勧めが記されていることも事実ですが、主にあって喜ぶことができることの理由がはっきり示されていることが、大きな理由なのです。
この手紙の筆者であるパウロは、1章で、「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」(V6)
と主の約束を示しています。ですから、「主にあって、喜んでいなさい」と力強く勧めるのです。「あってあるもの」と言われる主は、すべての賜物の持ち主ですから、その主に頼む者に一切の不安や心配は必要ないのです。全て主が備えて下さいます。2章でパウロは、「キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。」(V20)私達のこの地上の人生はややもすると、迷ったり躓いたりします。そして私の人生って何だったのだろうと疑心暗鬼になって苦しんだりますが、この確信には強いメッセージを見ることができます。主に従った人生は、神さまにとっても私たちにとっても有意義であると語っているのです。そして3章で「どうか、わたしにならう者となってほしい。」(V17)と勧めます。自身が主イエスに従ったように、主に従うことを良しとして私に見習って欲しいと勧めるのです。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(13)