Saturday, August 2, 2014

予知による予定

「 すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。 」 Iペテロ1章2節
 「予知による予定」という哲学用語をご存知ですか。これは、信仰が人に確認される時に神さまがどのように働いてくださるかによって受け止め方が変わるということを著しています。すなわち、強いカルヴィン主義の信仰によるなら、人は生まれながらにして2種類に色分けされるというのです。一人は必ず救われる人に、もう一人は生まれる前から遺棄されるというのです。必ず救われる人は、その人の生きている間に有効証明が働いて、必ず神を受け入れるようになるというのです。もしそうだとすると、、全ての人が神に愛されていないことになってしまいますし、全ての人への伝道の意味もなくなるので、マタイ28章の大命令は不要になってしまいます。こうした考えにならない救いの理解は、「予知による予定」という聖書理解であって、その根拠になるのが、上記の聖書箇所なのです。全知全能の神さまは、私たちが神さまの救いに預かる時に、その現場にいて下さり、その救いの状態が完全なものであることを理解して下さるだけでなく、エレミヤ1章5節のように「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした。」と神さまの全知の能力で言われるのです。神さまの予定論は聖書の正しい解釈によって、「予知による予定論」が支持されるのです。