Saturday, February 7, 2015

和解の務め

「しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。」    II コリント5章18節

IIコリント5章17節でパウロは、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」と、イエス・キリストを信じる者が誰でも、新しい人に変えられたと、宣言するのです。そして、次の節でそれがすべて、唯一の眞の神さまのご意志であり、実践する者はイエスキリスト御一人であるというのです。加えて、この働きに主にあるキリスト者たちも預かることを許してくださったというのです。
どの世界にもその道の達人と言われる人がいます。その道を極めるために生まれながらの才能を発揮するばかりでなく、その道のあらゆる分野に通じる知識、経験を朝から晩までやり続け、一家言をなすようになるのですが、その道が好きで、自身がその道に生かされていることを喜んでいる姿に感動を覚えます。翻って、クリスチャンはどうでしょうか。キリストに愛されていること、キリストを愛していることをどのくらい嬉しいこと喜ばしいこと感謝なことであると思っているでしょうか。
「主にあって喜びなさい。さきに書いたのと同じことをここで繰り返すが、それは、わたしには煩わしいことではなく、あなたがたには安全なことになる。」(ピリピ3:1)主にあって喜びの内に居続けることは、キリストの安心安寧の中に。憩うことなのです。加えて、「イエスがキリストである」ことの生き証人として、喜びを持って伝える生きる目的が与えられている。