Saturday, February 7, 2015

あなたはどこにいるのか

「彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。」     創世記3章8節

「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」(3:6-7)この記事が、はじめの人アダムとエバが創造主なる神さまの意思に逆らって自分たちの自由の意思で「苑の中央の木の実」をとって食べた瞬間の記録です。神さまに「食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」(3:11)に応答して、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」(3:13)と答えましたが、サタンに誘われて、食べても死なないということと神さまのように賢くなるという誘惑に勝てなかったのです。神さまの「あなたはどこにいるのか」という問いは、居場所がわからな人に呼びかけているのではなくて、本来おるべき場所を忘れてしまった人に対して、そこはあなたがいるところではないでしょう。と正しておられる問いかけではないでしょうか。私たちは、神さまに愛され守られていると同時に、自由な意思を行使することができる領分を与えられている自由な人として、神さまに喜ばれる枠の中で、自由の意志の発露としての喜びの表現や讃美を通して神さまを褒め称える喜びに加わりたいのです。人の欲望はどこまでも深いものですから、神さまから節度を示していただく時を大切にしたいものです。