Saturday, February 7, 2015

重荷を負い合う

「互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。」     ガラテヤ6章2節

「人生とは、上り坂を昇って行くようなもの」と家康が言ったとか。人生に近道や王道と言われるものはない、というのが現実の生活ということなのでしょう。人生設計もままならぬうちに攻略法でもないと思いますが、若い時に聖書に出会えた幸いは、つくづくと感じるこの頃です。ごく普通の日本人家庭に生まれ育って、そんなに多くないキリスト教関係の人達との交流を期待する方が無理と思われる状況の中で、出会いがあり、聖書に触れ、教会に繋がったのは、自分の側から考えるなら偶然であったという他ないと思いますが、神さまの側から見てみると、一人の魂のための祈りが積まれ、いろいろな働きかけが有あり、その何回かの御言葉との触れ合いの中で、「ウン?これが神さまのお働き」?と実感する経験の中で、神さまとの対話が始まったのだと思うのです。ですから、私の救いの背後に多くのクリスチャン達の働きや祈りが積み重なっており、ということは、今、私は多くのまだ救いを経験されていない魂のために働く重荷、責任があると実感するのです。罪や裁きに無関心な人にとって、救いの大切さを伝える人が近くにいないということは大変不幸なことです。その穴を埋めるのは、知らないどなたかに伝える偶然を主から与えられるクリスチャンであるということができるでしょう。ヨハネ福音書3章の中で、ニコデモは「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。と尋ねるのです。あなたはなんと応答されますか。