Saturday, May 16, 2015

愛のちから

「あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。」           ピリピ1章9~11節

「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」(Iコリント13:13)「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。」(Iヨハネ4:16)これらは、愛の定義ともとれる聖書の理解です。またヨハネは、「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。」(3:16)と愛の根源が十字架のイエスさまであることを証言しているのです。愛である神さまは人を変える大きな愛によって、私たち一人一人を御心にかなったご自分のみ姿にふさわしい姿に変えてくださいます。その代償となたのが、十字架上のお苦しみでした。イザヤは53章でその姿を、「見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。」(V2)と表現します。しかし主ご自身は「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。 」(ヨハネ10:17)と、私たちのために命を投げ出す力も再び得ることもおできになるお方なのです。力の主により頼み、力の手を心から味わう子供となりましょう。