Friday, August 21, 2015

命を司るイエスさま

「すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。 」  ルカによる福音書7章15節

「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。(ヨハネ11:14)表題の御言葉もヨハネの御言葉も共にイエスさまが人の生死に立ち会われて死に勝利された記事です。神さまはすべての被造物の創造者です。また、私たちの命に関してイエスさまは、「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」(10:17-18)と語られ、イエスさまが生命を捨てることも得ることもおできになるお方であると示されているのです。生殺与奪の権威を持たれる神である主イエスは、権威を自身の思いのままに乱用されるお方ではなく、父なる神と一つ心で、命を愛し、いつくしまれるのです。神さまの目に要らない命は一つもなく、一つ一つの命に「神さまの栄光のために」という目的があって創られているのです。従って生命体である私たち一人一人は、神さまの目的に叶う生き方をして、神さまにお従いした生き方をすることが幸いな生涯の姿なのです。「主を恐れる(畏れる)ことは人を命に至らせ、常に飽き足りて、災にあうことはない。 」(箴言19:23)し、「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。 」(19:21)のです。