Sunday, October 11, 2015

種まきの譬え

「いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。」  ルカ8章14

「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」(ヨハネ3:17)「私の創った人の全ては、一人も落ちることなく救いに入る」という神さまのご意志は明確です。しかし、Iペテロ1章に神さまの予知する力によって救われる者が選ばれているとありますから、人の意向によって、救いから漏れるということが起こることをも御言葉は伝えています。その原因の一つと考えられるのが、種播きの譬に見られる、茨の中に落ちた種の教えです。福音の御言葉を聞いて幾日か過ごす内に、生活への心遣いや富や快楽に心が向いていき、福音による救いを後回しにしたり忘れてしまうという状態になるというのです。どなん状態の人でも神さまは救いに導いて下さいますが、クリスチャン達のお証を伺うと、その人にとって差し迫った困難があって困ったり悩んだりした時に、御言葉がすっと心に染み込んで入ったという方が多いように思われます。ですから、イエスさまの十字架の贖いと三日目の復活で救いは完了ではなく、救われた者の証言が大切なのです。「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。」(Iコリ15:2)ことを証言して、御名を褒め称えてまいりましょう。