Sunday, January 17, 2016

人の子イエス

「それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。」  ルカによる福音書19章20-21節

創造主にしてすべての人を創造された主なる神により、独り子イエスはこの世に遣わされ、人としての喜怒哀楽をその体で体験され、弟子を育て、共に実際に約3年の間旅を続けられました。福音書の中に見るイエスさまは、素顔は、他の人と変わらない普通の、いや普通以下の人のように思われていました。しかし憐れみ豊かなイエスさまの行いを見続けるうちに一人また一人と信頼を寄せ 、語る言葉に耳を傾ける人が増やされていき、時に何千何万にもなっていきました。それが、ユダヤ人達、特に指導者階級のパリサイ人である律法学者や祭司達から疎まれ、「あの人は自分を神と言っている。唯一の神さまを冒涜する言葉だ」と非難され、裁判され、十字架にかけられてしまったのです。しかし、その歩みこそ主なる神さまが求めておられる歩みであると心を定め、されるままに、ゴルゴダに進み、十字架の上に釘打たれたのです。その十字架の上で流された血こそ、わたしたち「イエスをキリスト」と告白し罪の許しを求める一人一人の贖いの代償となったのです。このお方だけがこの働きを完全に全うすることがお出来なられたのです。厳しく審かれる主は同時に最も優しく私たち一人一人の第一の必要に完全に応えてくださるお方なのです。