Sunday, March 13, 2016

世の光

「すイエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。わたしは、この世にいる間は、世の光である」。             ヨハネによる福音書9章3-4節

表題の聖句はイエスさまが目の不自由な男性をお癒しになられた時の記事です。聖書の中には、肉体的な表現ではなく、心の不自由さを、目や耳、足や体の不自由さをもって表わしているところがあります。「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。」(IIペテロ1:3-8)と教えて、信仰-徳-知識-節制-忍耐-信心-兄弟愛-愛の備えがないものを盲人と称するのです。(V1:9)これは、世の光であられるイエスさまを認められない人は、視力はあってもその真の姿を見極められていないというのです。「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」(ヨハネ1:9-11)と神さまは人間たちの状態を判断されているのです。私たちが救いにあずかっていることは何と幸いな事でしょう。