Saturday, May 7, 2016

家庭教育の土台

「努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。」           申命記6篇7節

「それゆえ、主の言葉は彼らに、教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則、ここにも少し、そこにも少しとなる。これは彼らが行って、うしろに倒れ、破られ、わなにかけられ、捕えられるためである。」(イザヤ28:13)イザヤは、上述のように、教訓に教訓、規則に規則と受け止めるように言っています。旧約の指導者たちは、真の神さまに全くより頼んで生活しその人生を全うすることより素晴らしい人生はないと語ります。それは神さまが創られ管理していて下さる地で生活する者にとって、一番身近でその意思を受け止めることほど幸いなことがないからです。創造者であり、導き手であられる唯一の神さまの秩序と規則は完全なのです。人からの伝聞ではなくて、創造者ご自身のお言葉ですから間違った事が教えられるわけはないのです。「あなたがたは転倒して考えている。陶器師は粘土と同じものに思われるだろうか。造られた物はそれを造った者について、「彼はわたしを造らなかった」と言い、形造られた物は形造った者について、「彼は知恵がない」と言うことができようか。」(29:16)ここでイザヤは、陶器師とその材料である粘土との問答を取り上げ、粘土が陶器師にそれは私の意志ではないという事が出来ないように、創造主に対してその創造物を無意味であるとかそれを好まないなどという事は意味のないことだというのです。即ち、私たち人間をお創り下さった神さまは、愛するゆえに、その救いを完成されたのです。