Saturday, May 28, 2016

信仰の土台

「神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。 」             (Iコリント5章14-18節)

聖書が新旧66巻の今の形になるようになって以来、その中心テーマは、イエスがキリストであるという事です。もちろん聖書にはいろいろな主張や教えはありますが、創世記から黙示録までを貫き通している思想は、イエスがキリストであるという事です。確かに旧約時代の信仰生活において中心的に教えられていたのは、「律法を完全に守りなさい」という事でしたが、モーセの時代にアロンの杖を見上げなさいと言われたことや、祭壇で清い動物の血を流して自身の罪の清めを行ったことは、イエスさまの十字架上で流された贖いの血潮を意味しているものという事が出来ます。今日、この地上に生息している人類の中でどれ程の人がイエスがキリストであることを知らされていないか判りませんが、自然と歴史と人の良心を通して現される神さまのご意思を確認できない人がそんなに多いとは思われません。加えて、主ご自身がイエスさまや弟子達を通してお示しくださって数々のお恵みを実感できない人はほとんどいないのではないでしょうか。「人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。」(使徒17:27)聖書は、「すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。」(3:11)と確言しています。