Tuesday, October 4, 2016

いのちと信心

 「いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。」         IIペテロ1章3節

 「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。」(Iペテロ2:21)
クリスチャン兄弟姉妹は、「イエスだけが私のキリスト」と告白する幸いな共通点を持っています。イエスさまが地上にご臨在なされていたころは、イエスを信じるという事で迫害を強く受けまていましたので、握手をするときに相手の手の中に魚の印を指でなぞりお互いが信者であるかを確かめて、交わるようにしていたようです。現代では、先輩のクリスチャンたちの苦しい信仰の戦いの中での忠実なキリスト者のお証しが継続された結果、キリストを信じている事が迫害の対象とはならなくなってきたようです。しかしこの傾向が継続的に市民権を得るようになるためには、主の恵みを表し続け、主にある喜びがいつでもどこでも溢れるような状態にこの世の中を変えていかなくてはならないのです。ペテロの人生は、漁師であった時に兄弟アンデレから「私たちは今メシヤに出会った」と聞かされ、イエスさまと遭うために連れていかれたのです。やがて、ペテロは仲間のヤコブヨハネアンデレと共に大漁の奇跡の証人となり、「恐れることはない。今からあなたは、人間を取る漁師になるのだ」の招きに応答して、イエスさまの弟子となったのです。(参照ルカ5章、ヨハネ1章)いのちと信心は、神の恵み