Tuesday, October 4, 2016

キリストに倣う

 「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい。あなたがたが、何かにつけわたしを覚えていて、あなたがたに伝えたとおりに言伝えを守っているので、わたしは満足に思う。」Iコリ11章1-2節

 「ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。 すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。」(12:8-10)ここに知恵の言葉と知識の言葉と2つの単語を用いて説明しています。知識は、神さまを信頼して教えられたお言葉に沿って十分な経験を重ねて理解できた事であり、やがてそれが神の子の判断力を伴った言葉という事が出来、知恵はソフィアというギリシャ語が示すように、神さまとの繋がりの中で体験し理解できる判断力そのものであるという事が出来るのではないでしょうか。ですから、キリスト者たちは、自分の経験や判断によらないで、主にあって経験したことや判断力でみ言葉を中心にして解釈したり理解したりしていく中で主の御胸と確信して日々前進すべきではないでしょうか。「御心にかなっている」「これこそみ旨に違いない」と確信しつつ進む道は詩篇のお言葉の通り、「あなたのみ言葉はわが足の灯、わが道の光です」(119:105)と体験できる確かな道なのです。