Wednesday, March 29, 2017

弟子訓練の意味
 「そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。」                            ルカ22章35節

 「また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、ただわらじをはく、だけで、下着も二枚は着ないように命じられた。」(マルコ6:7-9)ルカ22章の記述から類推すると、この記述は、宣教師を送ってみ言葉の宣教を求めたというよりは弟子訓練であったと思われます。主への信仰こそ、弟子訓練の基礎であり、他のあらゆる事項に優先して修得すべき事柄なのです。 主は権威をお授けになり、神による供給を約束しつつも、〈あなたがたを受け入れない場所〉があり,〈あなたがたに聞こうとしない人々〉がいる(6:11)、と厳しい現実を指摘されたのでした。それはご自身が体験された事なのですそんな時は、挫折したり、福音をごり押ししたりしないで、足の裏からその町のちりを払い落して次の町へと進むように示されたのです。示された通りを実践した弟子達は、自分達で悪霊を追い出し、病をいやした時、イエスの権威と力が本当に神のものであり、自分達が授かった権威と力も本物であることを、感動と共に体験したのです。(参照ルカ10:17‐20)弟子訓練が意味するところは、立派な弟子、能力豊かな弟子である前に、忠実で誠実な、神さまにだけより頼んで進む信仰生活がどこでもどんな状況でも継続できる主への信頼と実践なのです。