Friday, March 31, 2017

贖いの供え物

 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」
                            Iヨハネ4章10節

 神さまの愛は、「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。」(3:16)で明確のように、神さまの存在を知り、その地上でのお働きを知ることで、私達のために死なれた意味が罪の贖いのための死であると理解したとき、これが「神さまのご愛」なのだと知り、また、これこそが「愛」の真の意味であると解ったのです。そこで、「それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」(3:16-18)という勧めを喜びと信仰をもって実践し、世に生活している間に良い証しとして、自らを律し整え歩む者であることを喜び実践するのです。この生き方こそ、イエスを神の子と告白して神の子供とされたクリスチャンの喜びであり誇りなのです。「神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。」(ピリピ3:3)「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。」