Wednesday, March 29, 2017

暗闇を照らすことのできる光
 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかったこの言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 」             ヨハネによる福音書1章1-5節

 「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」(イザヤ53:5)イエスさまの十字架のご生涯を予言した700年前の預言です。罪の暗闇を照らすことのできる唯一の光こそイエスキリストさまでした。ヨハネ福音書は新約聖書としてイエスの時代を伝えていますが、その起源は創造の原初に遡るのです。初めに神が全てを良いものとして創造され、人が創造され、人に自由を与え、神さまは被造物を全て人に管理を託されたのです。その時唯一の禁止事項がありました。エデンの園のい中央の「善悪を知る木から取って食べるな。食べたら死ぬぞ」というものでした。最初の夫婦であるアダムとエバは与えられたもので満足していましたが、サタン(へび)の誘惑に負けて神さまの前に罪を犯したのです。神さまが伝えた「死」の意味は、神さまから離されるという事だったのです。この死が現在の私たち全ての民に「原罪」として生き続けているのです。ですからそのままでは、神さまの備えてくださる「天国」に入ることはと出来ないのです。罪のないイエスの十字架の贖いが、救いのために不可欠な条件なのです。