Saturday, June 17, 2017

イエスさまが来られたのは

 「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」       ヨハネ10章10-11節

  人間が幸福を求めるのは、自我の欲求の充足の為であるという人がいます。心の中や頭の中で自分と周りの人を比べて、比較対象の結果、ある満足を得ることで納得する場合もありますが、聖書の教える幸福の意味は、神さまの人の創造から考えて、より良いより清い人が創造主と愛し交わり楽しむということが神さまの求める人への期待であると教えます。換言すれば、神さまは、最も良い者として人をお造りになり、最上の交わり相手として,よい人生を送って欲しいと考えておられるのです。そのために人をエデンの園に置かれましたが、神さまへの不従順によってそこから離され、神さまとの距離も遠くなっていったのです。今日の人々の中には、神さまを神さまとして崇めることも知らないで、自我の赴くままの自己中心の生活で一生を終えようとしているのです。主が教えてくださっているのは、「あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。」(イザヤ65:18-19)「母のその子を慰めるように、わたしもあなたがたを慰める。」(66:13)主を救いに預かった私たちは神さまの子供とされ、イザヤが語る母と子のように密接に繋がります。このことの為に、「イエスが私のキリスト」と告白する、他と区別された生き方をすることを誇りとするのです。