Monday, February 26, 2018

主のみ手にゆだねる人生

 「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。」詩篇51篇17節
 「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」(黙示録3:17)黙示録3章で、イエスさまは7つの教会の一つであるラオデキヤの教会について指摘しておられます。このみ言葉は、一人ラオデキヤの教会に対しての指摘ではなく、今日の私たちの教会への指摘でもあるのです。少年期のころから考えれば豊かになった、不自由さもあまり感じないから豊かなんだと納得しているのです。しかし、その豊かさ自由さは、他と比べての相対的なものに過ぎないのではないでしょうか。誰も保証してくれるようなものではなく、自己満足の不安定なものではないでしょうか。主のみ言葉に照らしてはっきり安全と言えるものではないのです。それに比べて、私達を一人一人として愛して下さる神さまが備えてくださる十字架の救いは、神さまが計画され実行され、歴史的な事実として、4000年以上の確かさにおいて、示され信じられてきた事実なのです。私たちクリスチャンの、「神の子イエスだけが、私の唯一の贖い主である」
という信仰告白の背後にある事実として、聖書の存在という不動の証拠が保障として与えられているのです。砕けた悔いた心とは、心のやさしさの表現ではなく、神さまの前に示す信ずる者の強い意志に基づく信仰告白の心情なのです。