Saturday, February 24, 2018

私の神、私の主。

 「昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。 」 ヘブル11章2-3節
 「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。」(ローマ10:9-13)この部分を指してキリスト者の信仰告白と言います。換言すれば、信仰によって「イエスさまが私のキリスト=救い主又はメシヤ」と告白するものがクリスチャン(キリストにある者)であると言うことができるのです。また、上述のヘブルの御言葉は、
信仰者(=クリスチャン)が信仰によって神さまから頂いた真理なのです。即ち、この世界が神さまが自らの手で創造されたこと。即ち、その創られた全ては良い者であったのです。
しかし、人の初めであるアダムとエバが神さまの前に罪を犯してしまったため、神から離されました。これが罪の状態で段々罪が広がっていったのでした。キリストさまが十字架の上で完成された贖いを頂く以外に罪の赦しはなく、救いの完成にイエスさまの存在は不可欠なのです。