Monday, February 26, 2018

十字架の言葉

 「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」
                      Iコリント1章18節
 「わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。・・・それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。 ・・・むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。」(1:2,5,7)コリントの教会は、パウロが第2回伝道旅行の折に1年半(AD52-53頃)滞在して立て上げた教会でしたが、数年後に教会に起きた問題に対応するためこの手紙を書いたようです。第一の論点は「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」で、私たちはどんな問題に対しても信仰の模範は主なるイエスキリストであるということです。そして、2章に示されたように、信仰の問題は、人の知恵、知識による前に、イエスさまが何と言われ、どのようにお考えになられているのかを知るべきなのです。そして主の導きと力を求めるのに必要なことは、霊的に受けることが出来る神の知恵そのものなのです。イエスをキリストと信じた私たちクリスチャンは、イエスに倣って歩み続けることによってのみ、約束された祝福を受け続ける事が出来るのです。この事実を聖書はていねいに創世記から順々に記しているのです。主は完全なお方なのです。