Monday, February 26, 2018

柔和で心の遜ったもの

「すべての事は父からわたしに任せられています。そして、
子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。」             マタイによる福音書11章27節
 「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。」(Iコリント1:18-30より抜粋)パウロは私達クリスチャンに向かって、まだイエスがキリストであることを知らない人々に大胆に証をするように求めています 。その大きな根拠の一つがマタイ伝に示されているのです。イエスを表わすことができるのは、父がこの地上に遣わされたイエスさまご本人と、イエスさまに受け入れられたクリスチャン達だけなのです。圧倒的少数ですが、圧倒的偉大なお力と恵みを頂いて私達クリスチャンは神の国の大使(アンバサダーIIコリ5:20)としてご奉仕に預かる事が出来るのです。主の恵みと導きを信じて。