Saturday, September 21, 2019

はばかることなくかっみに近づく
 「兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。」
            ヘブル10章19-22節
 ヘブル人の手紙の中心的な教えは、イエスさまが唯一絶対のそして全く清い贖い主であるということではないでしょうか。特に、10章19節からは、そのことを強調して、「はばかることなく聖所に入ることができる」と断言してくださっています。その理由として挙げられていることが、主キリストさまはそのために遣わされた神の独り子であられることと、それにふさわしい清さと尊さをお持ちであることが記されています。私達(クリスチャン)は、教会で、礼拝をし交わりの中でこのことを表し続ける者達として、神さまは導いてくださっているのです。(Iヨハネ3:18-19)このことが可能となっているのは、神さまが一人子イエスさまを私達の罪の身代わりとして贖いの供え物として下さったからなのです。(テトス2:14、ヘブル9:12、Iペテロ1:18-19)私達が今霊的に生かされているのは、ひとえにこの十字架の贖いが完成したことによるのです。イエスさまは、神の独り子であり、この地上で人の形をとって十字架の道を完成されたのです。