2023年12月17日日曜日

遠い昔からの神の約束

聖書箇所 イザヤ書533-7

まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。       イザヤ書534

1.神さまの預言者イザヤ

イザヤはイエスさまがお生まれになる約700年前に南ユダ王国で働きをした預言者です。当時人々の心は神さまから離れ、礼拝は形だけになっていました。神さまは、イザヤを通して厳しい警告を与えますが、何度警告されても人々は神さまに心を向けませんでした。そこで神さまはバビロン捕囚という厳しい裁きをなされました。しかし神さまは、そのような中でも神さまへの信仰を示す者に回復を与え、信仰の民を残してこられたことが歴史を通して明らかにされています。

2.しもべとして来られたイエスさま

神さまはどこまでも背き続ける民に神さまの計画を忠実に実行するしもべを送ってくださいました。このしもべが救い主なるイエス・キリストです。イエスさまを信じた私たちは、罪の赦しと神の国の希望をいただきます。これは、イザヤが神さまの約束として伝えていたものです。神さまは必ず約束を守られるお方です。その神さまが送られたイエスさまによって、私たちの日々の歩みが支えられています。

3.聖なる怒りを受けられたイエスさま

神さまは人々の背きの罪を忘れてしまわれたのではありません。神さまの聖なる怒りは、イエスさまの上に振りおろされ、処理されました。それがイエスさまの十字架、罪人である私たちの身代わりの死でした。それによって神さまは信じた私たちすべてを迎え入れてくださるのです。イエスさまはこの地上にお生まれになり、神さまの怒りの十字架にまっすぐに向かわれました。私たちに示されたその愛を心から感謝して、クリスマスをともにお祝いいたしましょう。

20231217日 週報より 

2023年12月10日日曜日

静まって信頼する大切さ

聖書箇所 マルコによる福音書135-45

朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。                         マルコによる福音書135                  

1.イエスさま人気に振り回される弟子たち

イエスさまのいやしのみわざによって、多くの人々がイエスさまのところに詰めかけて来ました。弟子たちは、イエスさまを必死で探しました。しかしイエスさまは弟子たちに「なすべきは、人々の要望にこたえることではなく、福音を告げ知らせることだ。」とはっきりと言われたのでした。回りの状況に振り回されず、いつも神さまとの交わりを優先して導きをいただくことの大切さを教えられます。

2.ひとりの病人の信仰

ひとりの重い皮膚病を患っている人が、イエスさまのところに来ました。当時この皮膚病は触れると人を汚すと考えられていました。彼は社会から締め出され、精神的にも大きな苦痛がありました。しかしこの人はただ「いやしてください。」と願ったのではなく、神さまのみこころを求めました。この人の信仰の素晴らしさを見ること ができます。信仰とは、神さまのお心に絶対的な信頼を置いて自分をすべて神さまにお任せしてしまうことなのです。

3.イエスさまの沈黙命令

この人は、「何も人に話さないように」というイエスさまのお言葉を守れませんでした。その結果、イエスさまは表立って町に入ることができなくなりました。彼は自分がイエスさまの働きの妨げになるとは思いませんでした。彼は自分の思い通りにしようとする心の上にイエスさまのお心を置けなかったのです。私たちもまずいったん静まって、自分の心よりも神さまを信頼すること、そしてお言葉を求めてお言葉に従おうとする姿勢が信仰の歩みであると教えられています。

20231210日 週報より 

2023年12月3日日曜日

あわれみを土台として

聖書箇所 マルコによる福音書129-34

イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。                         マルコによる福音書134節                  

1.シモンのしゅうとめのいやし

イエスさまは、シモン(のちのペテロ)の家を訪ねて、彼のしゅうとめをいやされました。神さまは確かにあわれみ深いお方です。しかし、弟子の家族だという理由で、神さまがいやしてくださるのが当然なのではありません。またそれを私たちから要求できることでもないのです。ここでマルコは神さまのあわれみによるお恵みに感謝と謙遜を持って仕える歩みの大切さを示しています。

2.多くの人々のいやし

イエスさまは、人々が連れてきた病人や悪霊につかれた者をいやされました。イエスさまはこのことで、人々がすぐにイエスさまを救い主だと信じるとは思っておられませんでした。このいやしのあとで魂の救いと言う霊的ないやしに目を向けられるように時間をかけておられたのです。このような神さまからの働きかけで、自分で悟ることのできない真理を知るようになることも福音なのです。

3.あわれみによるみわざ

ペテロのしゅうとめ、また病人や悪霊につかれた者たちへのいやしは、周囲の人々の求めによるものでした。イエスさまは、求めがあったのでいやされたのでしょうか。そうではありません。先ほど見たように人々の霊の眼が開かれるように先手を打たれたのです。何より一人一人のようすにあわれみを覚えられ、いやしを与えられたのでした。私たちは、神さまのあわれみによって神さまを見上げる信仰者とされます。そして『ただ神さまのあわれみを求め、よりすがるしかない者です』という土台にしっかりと立ち続けることが大切なのです。

2023123日週報より