2021年7月4日日曜日

御子イエスを信じる者

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」          ヨハネ316 

ヨハネ3章で、「ニコデモの救い」が取り扱われています。これはちょうど私たちの救いのステップを見せて下さっているような、素晴らしい記述です。今朝の聖書箇所では、ニコデモの救いの記事を通して、主イエスさまが意図されておられた、「人の救い」についての主イエスさまのお思いと願いが語られています。この箇所から、私たちは、救われるためには、「イエスをキリストであることを信じる者は裁かれない」との「主のお赦し」が続く間はこの事が強調され、それは、ニコデモにだけではなく、「イエスをキリスト(救い主)」と信じ受け入れるすべての人々が、主がお赦し下さる間、世界中のどこに住んでいても、いかなる環境の中でも、可能となる真理なのです。

「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである(Ⅰヨハネ51)。」とあり、さらに「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない(Ⅰヨハネ53)。」と記されています。

私たちイエス・キリストにある者=クリスチャンは、「」イエスがキリスト」と告白して、キリスト者と認められて、キリストに教えられた「戒め」を守り続ける生活を通して、救い主がお約束して下さる「救われた生活」を守り続けることで、天国への道が保証されているのです。

ただにこの保証をいただくためだけではなく、その天国への道が幸いで正しい道であることを理解し、感謝し、私たち11人の人生において、しっかりと、確実に受け留めてまいりましょう。

2021年7月4日 週報より


 

2021年6月27日日曜日

 キリストの花嫁

 

 「それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。」                                                                                                                  ヨハネの黙示録19章9節              

 子羊の婚姻で、子羊なる花婿は、イエスさま、花嫁は教会(エペソ5:25-27)です。それは、イエスさまを信じ救われた私たち11人です。私たちは、イエスさまと婚約し、結納もいただきました。それは、イエスさまの十字架です。イエスさまは、私たちの罪を聖め、ご自分の花嫁とするためにそのいのちを十字架にささげてくださいました。そして、花嫁となる私たちを迎えに来てくださいます(Ⅰテサロニケ4:16-17)。それが、携挙です。19章では、花嫁の用意ができていますので、携挙は済んでいます。これまで人類が経験したことのないような、恐ろしい患難の到来、神さまの罪に対する怒りの極まり、神さまの罪に対する徹底的な裁きが地上で行われるその時に、イエスさまは、私たちを花嫁として迎え、私たちを天で、守っていてくださいます(黙示録3:10)。ただ、私たちは、花嫁として、麻布の衣を着て備えていればよいのです。その衣は、「聖徒たちの正しい行い」(黙示録19:8)です。イエスさまは、すでに、教会の花婿として、教会を愛し、教会を聖なるものとし、保ってくださっています(エペソ5:25-27)。私たちは、花嫁として、その花婿なるイエスさまに従い、仕えていく、それが正しい行いということでしょう(エペソ 5:24)。この世にある教会は、すでに、イエスさまとの結婚を、先取りしています。私たちがそれを喜んで、イエスさまのお言葉に従おうとして、信仰で歩む時に、イエスさまは、イエスさまに似る者となるように、導いてくださる。その歩みが、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることと教えられます。それは天の御使いたちもうらやむ、かけがえのない喜びです。なぜなら、キリストの花嫁は私たちですから。喜びましょう。

2021年6月27日 週報より

2021年6月13日日曜日

 一緒に喜んでください 

 「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。」                       ルカ1510節                  

 今日は、イエスさまが、パリサイ人や律法学者たちに話されたたとえ話からです。

1.  罪人たちも、イエスさまの大切な持ち物

 ここでは、羊にも銀貨にも「固く握って離さない」という意味のある「持つ」という言葉が使われています。つまり、罪人たちも、神さまの大切な魂の1つ。イエスさまの大切な持ち物。それを、イエスさまは固く握りしめておられる。もしそれをなくしたら、どこまでも追い求めて捜しに行かれるということなのです。

2.  律法学者やパリサイ人たちへのイエスさまのお招き

パリサイ人や律法学者たちは、正しい者、悔い改める必要のない者ではなく、失われた者、悔い改めるべき者でした。イエスさまは、彼らに聞く耳を持たせて、「失くしたものを取り戻した時に、天では大きな喜びがありますよ。あなたがたもこの喜びに加わってくれないか。」と彼らを招いておられます。

3.  イエスさまと一緒によろこぶために

聖書がいう罪は、まことの神さまを神さまと認めず、自分には関係ないとして生きていくことです。その罪のためにイエスさまが十字架にかかり、死んで葬られて、しかし、3日目によみがえられたことを信じる者は、だれでも、罪が赦され、イエスさまの喜びの食卓につくことができます。

すでに、イエスさまの食卓についておられる、クリスチャンの皆さんの喜びはいかがでしょう。救われた時の、その時のイエスさまの、そして、同じ食卓についている兄弟姉妹の喜びを思い出しましょう。

2021年6月13日 週報より