2021年8月29日日曜日

 いつまでも残る愛

 

「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と 愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」       コリント人への第一の手紙1313節                  

パウロは、コリントの人々が預言や異言そして知識をあまりにも重要視する一方、愛を軽んじている様子に、それは全く知恵のない子供っぽい信仰者がすることであると言います。あなたがたは、真に価値のあるものを求めなさい。その中でも最も大いなる愛を成長させて大人の信仰者になりなさいと言っているのです。

私たちは、イエスさまの十字架を通して与えられた愛をもって、神さまとまた、隣人を愛します。イエスさまが十字架で示してくださったこの愛は、証しとして見えるかたちで残されています。私たちの11つの愛の実践も、証となり残されます。あなたの示した1つの寛容が、消えずに証しとなり残るのです。また、御霊の実としてあなたの信仰の成長に加えられます。さらに、教会の愛として積み上げられ、教会をより強固にします。パウロは、このことをコリント教会に期待していました。そしてこの愛は、神さまとの交わりをより親しいものとします。私たちは、愛すれば愛するほど神さまをより知るようになります。神は愛だからです。

主に従う私たち11人には、もうすでにこの愛が育まれています。この愛をイエスさまにあって用い、実践することで、隣人とのまた、兄弟姉妹との間で、教会の中で、そして自分の中に、この愛がますます、成長し、大きくなっていくのです。それは、決して無駄になりません。そして、イエスさまを証しするものとして、教会を建て上げる愛として、自分の中の御霊の実の成長に、また、さらに神さまとの親しいお交わりに絶えることなく働いていくのです。

 2021829日 週報より

2021年8月22日日曜日

 愛の特徴 

「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」       ローマ人への手紙58節              

 このローマ5:8に示されている「愛」の特徴をコリント人への第一の手紙13章からみてみましょう。

1.  ~する「愛」

1) 寛容:それは、仕返しできるのにあえてしない忍耐、そして、裁きは、神さまにお任せする強さです。

2) 情深い:自分に敵対する人のために善を行うことです。

2.  ~しない「愛」

1) ねたまない:人のものを見るのではなく、自分の賜物でいかに神さまに仕えるかに焦点をあわせていくことです。

2) 高ぶらない・誇らない:教会として器官の一部であり、目は手に、おまえはいらないとは言えないのです(コリント12:21)。

3) 不作法をしない:礼儀に反することをしないことです。

4) 自分の利益を求めない:当然主張できる利益でも、もし、他の人の利益を損なうのなら、あえて求めないということです。

5) いらだたず、うらみをいだかない:これらは、寛容と、情深さという愛を実践することによって得られます。

6) 不義をよろこばない:これは、他の人の不義を見て、妥協することは、愛ではないということです。

3.  成長する「愛」

神さまの恵みであるこの「愛」は、継続的に働き続けて、信仰者の中で育ち、実を結ぶ御霊の実の一つです。私には「愛」がないと言わずに、この「愛」を少しずつ育てる信仰を働かせて歩みましょう。

2021年8月22日 週報より

2021年8月15日日曜日

 世に勝つ信仰

「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」                                                                                                ヨハネの第一の手紙5章5節

 「それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:15

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。」(ヨハネ3:16-18

ヨハネによる福音書3章には、聖書を開いたことがある人なら誰でも見聞きしていると思われる有名な聖句があります。神さまの愛は全ての人に向けられており、しかも、「イエスの名を信じ受け入れる者」は誰でも、無条件に「父なる神さまの子供」として受け入れて下さるとの宣言がなされているのです。

「もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。」(Ⅰヨハネ4:15-17

 2021815日 週報より