断食をする時には
1.
断食の思い違い
神殿の再建工事が順調に進む中、失われた神殿のための断食の継続の必要を神さまに尋ねます。そこで神さまは、あなたがたの断食は、ただ、あなたがた自身のため、あなたがたの目的を達成するための手段となっていないかと問われます。
2.
断食とは
断食は、旧約の「贖罪の日」に身を聖く保つ方法として、民たちで決めて行うようになったものです。神さまに心を向けて祈りに集中するための断食には意味がありました。しかし、それが形ばかりになってしまっていました。イエスさまも、律法学者やパリサイ人たちにそのことを指摘しています(マタイ6:16)。イエスさまは、「人を愛すること」の象徴的な行為としての「断食」の大切さを示しておられます。
3.
断食と私たち
断食は強制されるものではありませんが、使徒行伝の中にもしばしば登場します。それは断食によって、神さまに祈りがよく聞かれるからでしょうか。しかし、ダビデは病気になった子供のために断食して祈りますが、その願い通りにはなりませんでした。断食は体の弱さを覚えて、人の痛みを自分の痛みとして、神さまにも人にも誠実に向き合っていくために用いられるものなのです。目に見える断食が大切なのではなく、神さまに心を向けて、神さまのおことばに聞いて従う、霊的な断食が何よりも大切であるということを教えられています。
2022年3月20日 週報より