2025年1月19日日曜日

神のものを盗まない

聖書箇所 マルコによる福音書121-12

あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。                                                                マルコによる福音書1210

1.非難された指導者たち

ここでイエスさまはたとえ話をされます。ある土地に所有者がぶどう園を作ります。ぶどうを守る垣根をはり、設備も整えて、農夫を雇ってそこからいくらかの利益を納めてもらおうとします。しかし雇われた農夫たちは、全部自分たちのものにしようと所有者の息子を殺してしまいます。イエスさまは、この農夫こそが今の指導者たちの姿だとたとえ話を用いて非難されたのでした。

2.大切な石を捨てた指導者たち

指導者たちには、ユダヤの人々を神さまに忠実に歩めるように導いて育てる責任がありました。しかし彼らはたとえ話の中の農夫のように、主人である神さまに背を向けて歩んでいたのです。イエスさまはそんな彼らに、「あなたがたは、『隅のかしら石』であるわたしを殺すようになる」と彼らの中に恐ろしい心があることも明らかにされていました。

3.神から盗んでいた指導者たち

指導者たちは神さまから預けられた人々を自分たちのいいようにしていました。こうして神さまのものを盗んでいたのです。私たちが与えられている信仰の歩みは、神さま所有のぶどう園そのものです。よい実を結ぶように任せられているのです。その実はすべて神さまのものなのですが、私たちが自分たちのものとして受ける分も与えてくださっています。これが恵みです。この恵みに心から感謝していれば、神さまのものを盗むことがない歩みができるのです。

2025119日 週報より

2025年1月12日日曜日

神にある権威

聖書箇所 マルコによる福音書1127-33

それで彼らは「わたしたちにはわかりません」と答えた。するとイエスは言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」

                       マルコによる福音書1133

1.保身に走る指導者たち

イエスさまの言動の一つ一つは、祭司長たち指導者の権威を無視し、体制や組織を否定するものでした。そこで、彼らは、自分たちの立場を守るために、イエスさまを責めようとしました。人には自己保身に走る弱さがあります。すべて正しい神さまにお任せして、その弱さに流されない高潔さを持たせていただくことが大切です。

2.人を誇る指導者たち

指導者たちはイエスさまに対して「あなたは最高指導部から承認のないにせ者教師にすぎない」と問い詰めようとしました。組織は、人々を効率よく導くよい手立てとなるものです。しかし指導者たちの組織は神さまに仕えるという目的から外れていました。人の思いを満足させ、人を誇るものとなっていました。私たちも人だけに仕える教会になることのないように注意しておく必要があります。

3.追い込まれた指導者たち

指導者たちは追い込まれていました。ヨハネのバプテスマが神の権威によるとすれば、「なぜヨハネに従わなかったのか」と問われるでしょう。一方、人の権威だと言えば多くの民を敵にまわします。民の多くが、ヨハネにある神の権威を認めていたからです。彼らは、答えをごまかしました。私たちにも自分に都合の良い考えを信仰だとしてしまう弱さがあります。神の権威の前には自分の思いなど何の値もないと認めること、そして神さまに従わせてくださいと常に心から願い求めて、神の権威を恐れる歩みが大事なのです。

2025112日 週報より

2025年1月5日日曜日

祈りの姿勢

聖書箇所 マルコによる福音書1120-26

イエスは答えて言われた、「神を信じなさい」。      マルコによる福音書1122

1.弟子たちへの教え

実は弟子たちの中にも目に見える神殿そのものを信仰するような部分がありました。イエスさまはそんな弟子たちの危うい信仰を見えない神さまに向かう信仰に入れ替えようとして教えをされています。私たちもイエスさまにどこまでも信頼していくなら、見えない神さまに信頼する信仰の土台を神さまが備えてくださいます。

2.信仰で祈る

ここでイエスさまは、神さまの全能の御力への信頼をもって祈る大切さを示されています。それは「人にはできない事も、神にはできる(ルカ18:27)」と、私たちには思いも及ばないところにも働く神さまの無限の御力を信頼することです。つまり祈りは言葉によってではなく、信仰で祈るものです。それも絶対的信頼で祈るのが祈りだと教えられています。

3.祈った後の信仰

祈った時点ですでに神さまがかなえてくださっていると信じたならば、疑ったり、思いわずらったりすることはなくなります。神さまは時間を超越したお方であるので、神さまの目から見れば、将来のこともすべてが今の出来事のようにかなえられています。神さまが御心の内に、祈ったすべてを実現されると確信することができれば、祈った後も疑うことなくすべて神さまにお任せできるでしょう。この祈りの姿勢が、神さまの望まれる信仰者の姿勢であることを教えられています。

202415日 週報より