2026年6月28日日曜日

神からの報い

聖書箇所 コリント人への第一の手紙915-18

進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んで しないとしても、それは、わたしにゆだねられた務なのである。Ⅰコリント917

1.主にあるこだわり

パウロは、信徒がつまずかないように教会から生活の支えを受ける権利を用いませんでした。彼が大切にしたのは自分の利益ではなく、人々が霊的に成長し、神さまの祝福を受けることでした。パウロはどんな時も人の評価ではなく、主である神さまを見ていました。そこにパウロの主にあるこだわりを見ることができます。

2.主にあるしもべ

パウロは、福音宣教を特別な働きや功績としてではなく、主に仕えるしもべの使命と捕らえていました。彼は人の評価や反応を気にせずにすべてを主である神さまに対して行いました。私たちも世とのかかわりで人に対する働きをします。しかしすべては主に忠実なしもべとして、主に仕えていくようにと教えられているのです。

3.主にある報い

パウロが求めていた報いは、人からの称賛や利益ではありませんでした。彼が求めていたのは、主である神さまからの霊的な祝福でした。たとえ伝えた福音が受け入れられなくても、主への愛と従順によって彼は語り続けたのです。その忠実な歩みを神さまが喜び、豊かに報いてくださることが分かっていたからです。私たちも与えられた務めの大小にこだわることなく、何にでも主に対して忠実に仕えていくこと、また人の評価ではなく主の喜びを求めて歩むことで、神さまからの大いなる祝福を受ける信仰者としていただけます。


2026628日 週報より

2026年6月21日日曜日

敬われる父になる

聖書箇所 創世記258-10節、エペソ人への手紙61-4

父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。 エペソ人への手紙64

1.父の日

母の日と同じく、父の日も教会から始まりました。神さまは、子供が神さまを知り、神さまの喜ばれる歩みをするように父や母を立てられました。そのうえで「あなたの父と母とを敬え」と言われています。父の日は、父親への感謝を通して、いのちを与え導いてくださっている神さまに感謝する日です。両親を敬うことで、神さまに従い、神さまの祝福をいただくことができます。

2.父親アブラハム

信仰の父と呼ばれるアブラハムも決して完全な父親ではありませんでした。不信仰による過ちが家族に大きく影響します。しかし死の際には、母違いの子どもであるイサクとイシマエルが共に父アブラハムを葬りました。そこには葛藤を越えた和解の姿が見られます。聖書は父親の失敗や弱さを隠さず記しながらも、「父と母を敬え」と教え、人間の不完全さを超えた神さまの存在を示しています。

3.敬われる父

敬われる父とは、失敗しない完璧な父親ではなく、神さまの御言葉に聞き従う、また聞き従いたいと願う父親です。アブラハムが信仰の父と呼ばれるのは、神さまから過ちを指摘された時に素直に悔い改め、神さまに立ち返ったからです。父親は聖書に学び、失敗してもあきらめず神さまに従い続けることが大事です。その姿勢が子どもの信頼につながり、家庭を導く力となります。父の日に父親と神さまへの感謝を新たにいたしましょう。

2026621日 週報より

2026年6月14日日曜日

祝福ある献げもの

聖書箇所 コリント人への第一の手紙98-14

もしわたしたちが、あなたがたのために霊のものをまいたのなら、肉のものをあなたがたから刈りとるのは、行き過ぎだろうか。Ⅰコリント911

1.脱穀をする牛の話

パウロは、使徒が献金で支えられることは、「脱穀をする牛にくつこを掛けてはならない」と言われる神さまの定めだと言います。しかしパウロは自らの権利を主張するためにこの話をしたのではありません。神さまは福音を宣べ伝える者、またそれを支える信徒の両方を顧みておられるのです。それぞれがお互いに神さまに仕えるための恵みのしくみが献金であることを示していたのです。

2.霊をまいて肉を刈りとる

パウロは、御言葉を伝える働きを「霊のものをまく」と表現し、それに応えて信徒が献金などの「肉のもの」をささげることを神さまの定めとして語ります。献金は霊的奉仕者への報酬ではありません。信徒は神さまの恵みを受けた感謝を献げ、伝道者はみ言葉をもって仕えます。この関係が信仰によって受け入れるときにお互いともに神さまの祝福にあずかることになります。

3.献げものの意味

献金は、教会運営や伝道者の生活支援が目的ではなく、神さまへの感謝と献身のあらわれです。旧約時代、神さまへの献げものを神さまご自身が、祭司に分け与えられていました。献金も同様に神さまのものとして聖別され、神さまの御用のために用いられます。その一部が神さまからの恵みとして霊的奉仕者に与えられるのです。パウロは自らの権利を控えることで、コリント教会の人たちが神さまに心からの感謝と献身を献げられるよう導こうとしていました。

2026614日 週報より