Sunday, July 25, 2021

 あなたがたはこう祈りなさい

  「それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。」                ピリピ人への手紙210-11        

 今日は、主の祈りの前半部から3つ見ていきます。

1. 「天にいますわれらの父よ、」

これは、単なる呼びかけではなく、自分の心を様々な思いから解放させて、心のすべてを一番信頼できる父なる神さまに預けること、また、感謝をもって、神さまの前にへりくだり、祈りに向かう準備の姿勢をとることが、この「天にいますわれらの父よ、」なのです。

2. 「御名があがめられますように。」

御名とは、ここでは、神さまの存在のすべてを指しています。聖である神さまを私たちが汚すことのない様にしてくださいという祈りです。あなたにあって聖くされた私が、その聖さを保つことができるように助けてください。そうであれば、その聖である私たちを通して、天で行われるみこころが地でも行われるようになるのです。

3. 「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」

ここで、御国は、「みこころが天で行われるように地でも行われる」国のことです。天で行われるみこころが地でも行われるようにそれを今、私たちから始めてください。それを教会の証しとしてください。その証を通して、福音宣教の拡大がなされますように。私からはじめて、この地上における神さまのご支配の領域が拡大されていくことを願う祈りとなります。

心を主にまったく向け、感謝をもって、また、やがて来る神さまの国を待ち望みつつ、「天にいますわれらの父よ、」と祈りましょう。 

2021年7月25日 週報より

Sunday, July 18, 2021

 ザアカイよ、急いで降りてきなさい

 

 「イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」         ルカ福音書195

                  

ルカによる福音書19章に、取税人であるザアカイとイエスさまの出会いが記されています。5節のイエスさまのお言葉を見ると、ザアカイにお会いするためにこのエリコの町に来られたのではないでしょうか。また、背の低いザアカイはそんなイエスさまの心は何にも知らずに、「どんな人か一目見たいと」無花果桑の木の枝に登って、イエスさまが近づいて来られるのをお待ちしていたのです。ザアカイを発見したイエスさまは、「ザアカイよ!その木から急いで降りてきなさい」「今日、あなたの家に泊ることにしているから」と、お声をかけてくださったのです。どんな人か一度見てみたいと思っていた願いがかなえられただけではなく、我が家にお迎えできることになった賓客であるイエスさまをお迎えして、主に誓いました、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取り立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。(ルカ19:8)と。人々は、悪徳取税人で大金持ちのザアカイの変貌をどのように受けとめられたのでしょうか。イエスがザアカイの家に入るのを見て、「彼は罪人の家に入り、客となった」とつぶやいた人々の思いは、イエスさまは多くの人に幸いな人と歓迎されているけれど、あんな悪人の家に喜んで客人となるなんてと、不満な気持ちを持っていたのではないでしょうか。しかし、イエスさまは、その一人一人の霊的な性質を良きものにお変えになるたに最善をもって私達に向かってきて下さるのです。そして、「イエスをキリスト」と受け入れた魂を、「アブラハムの子」として受け入れてくださるのです。

私達とイエスさまの出会いにどんなご計画があったのでしょう。

 

2021718日 週報より

Sunday, July 11, 2021

 祈ることを教えてください

 

 「だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」                         マタイによる福音書68節                  

 

私たちは、異邦人たちのように「くどくどと祈る」必要がないので、「だからこう祈りなさい(マタイ6:9)」と言われています。それは、私たちが祈りの相手である父なる神さまのことをよく知っており、また、神さまは、私たちの必要をよく知っておられるからです。

よく知る子供さんが、何か欲しいと願うとき、私たちは、その必要について、よくわかります。そうして、与え方や与える時期を判断するでしょう。私たちの父なる神さまも同様です。私たちの必要を良く知ってくださっている父なる神さまだから、私たちは、くどくどと祈る必要がないのです。祈りを通して、私たちは願うだけでなく、父なる神さまのみこころを知ることができます。父なる神さまは、完全に正しいお方であり、全知なるお方です。私たちを私たち以上に知るお方。そして、これから起こることをもご存知です。祈りによって、私たちは、ますます神さま、そのみこころと、また自分自身を知ることになります。

まだ、イエスさまを信じておられない方には、信じることを心からお勧めします。神さまと祈りで交わり、本当の自分をも知ることができるようになるからです。自分にも神さまの前に罪があること、イエスさまがその罪の身代わりに十字架にかかり死んで葬られ、3日目によみがえられたことを信じて受け入れるだけです。

私たちは、くどくどと祈る必要はないとイエスさまは、教えてくださいました。では、イエスさまは、なぜ、私たちに求め続け、捜し続け、たたき続けと言われているのでしょう。それは、いつも神さまを見て、神さまのみこころをいつも確認し、覚えている者に対して、 神さまは、求めるものを何でも与えてくださるからということでしょう。弟子たちは、祈る方法ではなくて、祈ることを教えてくださいとイエスさまに尋ねたのですから。祈りましょう。

2021711日 週報より