2026年5月3日日曜日

信仰者の立ち位置

聖書箇所 コリント人への第一の手紙725-35

わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。Ⅰコリント735

1.置かれている環境を見る

パウロは結婚の是非を一律に決めるのではなく、その人が置かれている環境をよく見極めるよう勧めています。当時のコリント教会は迫害の危機にあり、周囲に目立つ行動を起こせば、何かしら苦難を招く恐れがあったようです。これは結婚の否定ではなく、置かれた環境で知恵をもって歩む大切さが強調されているのです。

2.歴史的な視点で見る 

パウロは「時は縮まっている」と語り、信仰者が終わりの時代に生かされていることを自覚するよう促します。これはいつ終わりが来てもよい備えをしておくようにという意味です。そしてこの世に深く関わりすぎないようにと教えます。世は過ぎ去り、そこに費やしたすべても空しく消えるからです。

3.霊的な視点で見る

パウロは思い煩わないようにと勧め、神さまに心を向けることの大切さを語ります。結婚は信仰の妨げにはならず、むしろ霊的成長の場となります。結婚によって世の思いに心を奪われるならば問題となります。しかし、信仰者は世からの距離を保ち、神さまと深く結びついた霊的な位置に立てるようにされているのです。

置かれた環境を見極めて、神さまに与えられた役割に立つこと。また終わりの時代に立っているとの自覚を常に持つこと。そして神さまとの霊的結びつきによってこの世との適切な距離を保つことで、霊的視点で物事を捕らえることのできる信仰者となります。

202653日 週報より

2026年4月26日日曜日

不満から抜け出す

聖書箇所 コリント人への第一の手紙717-24

兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神のみまえにいるべきである。Ⅰコリント724

1.まず受け入れる

パウロは神さまから与えられた現状を受け入れることを勧めています。それは変化を求めてはならないという意味ではなく、神さまのご計画に信頼して歩むことです。人は苦しみや不満から神さまを求めます。しかし求めても自分の願い通りにならないと神さまを疑いやすくなります。いつも神さまが最善を備えておられると信じ、祈りつつ御心に従う歩みをするようにと教えられています。

2.立場の違いによらず

パウロは割礼と無割礼の問題を取り上げ、外面的な立場や違いが信仰の本質ではないことを示しています。大切なのは神さまを愛し、人を愛する歩みです。神さまは、私たちの状態や立場をすべてご存じのうえで救ってくださいました。だからこそ、与えられている環境を受け入れて歩みなさいと教えています。外面的な違いにとらわれるのではなく、神さまの戒めを守ることが信仰の中心です。

3.現状に立って

パウロは奴隷の例を用いて、どのような立場であっても神さまに仕えることができると教えています。奴隷であっても救われた者は、罪から解放された真の自由人です。また自由人として救われた者は、奴隷の立場の信仰者を見下げずに、傲慢にならないようにと忠告されています。現状に不満を持つのではなく、すべては神さまのご計画として受け入れ、今ある環境で主に仕えていくことが大切です。自分中心の思いを十字架につけることで、不満から解放されて、神さまに仕えるしもべの歩みができるようになります。

2026426日 週報より

2026年4月19日日曜日

神の証し人として

聖書箇所:コリント人への第一の手紙78-16

神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。Ⅰコリント715

1「離婚してはならない」の意味

パウロは独身を勧めつつも結婚を否定してはいません。コリント教会には、「結婚は信仰の妨げ」とする極端な考えがあり、そのため離婚を選ぶ人がいました。パウロはその誤解を正し、安易な離婚を避けるよう勧めています。ここで「離婚してはならない」と言われているのは、信仰のためという理由だけで離婚を選ぶ、もしくは選ばなければならないと考えている人たちへの言葉なのです。大切なのはいつも神さまを第一にして信仰の歩みをしていくことです。

2.証し人としての配偶者

信者と未信者の結婚について、パウロは信者のゆえに配偶者や子どもが「きよめられている」と言います。これは救いを得ているということではなくて、神さまの救いの御手が近くにある状態を意味します。信仰者は日常の歩みを通して、家庭で神さまを示す証し人となります。そうであっても救いは神さまのお働きであり、私たちが家族を救おうと無理にがんばる必要はありません。信仰者の存在が、家族を神さまの祝福の近くに置く働きとなっているのです。

3.証し人

家族の救いは信者の信仰のレベルによるものではありません。証し人とは完全な姿を示すことではなく、弱さを認め神に頼る姿を現すことです。そのような自然な信仰の歩みが、家族に神まさの恵みを伝えます。信仰者が神さまとの平和を喜び、その恵みに生きる姿をあらわしていくことが証しとなるのです。

2026419日 週報より