誰が一番偉いか
聖書箇所 マルコによる福音書9章30-37節
しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。 マルコによる福音書9章32節
1.二度目の受難予告
イエスさまはここでもう一度、ご自身の受難について弟子たちに教えられています。しかし弟子たちはイエスさまの言葉を真剣に受けとめず、尋ねもしませんでした。それが彼らの期待とは全く違う、受け入れ難い内容だったからです。しかしこのようなことは肉の思いから来るもので、霊が育てられる機会を自ら手放すことになります。霊的な導きに気づいたならば、無視や拒否ではなく、素直に従うことが大切です。それが神さまに喜ばれ、祝福をいただく道だからです。
2.一番偉い弟子は誰か
受難予告の話題を避けて、弟子たちは「誰がイエスさまの次の位に就くのか」という肉の欲を満足させる話で盛り上がります。イエスさまは、そんな弟子たちを正しい霊的判断ができるように導かれています。「神さまに一番高いと見られたかったら、肉の目で一番低い人になって、仕えなさい」と教えます。さらに子供を受け入れることが、わたし(イエス)と父なる神を受け入れることだと言われました。
3.霊が育てられる歩み
イエスさまは、当時社会的に無価値と見られていた子供を真ん中にして教えられました。これは私たちへの教えでもあります。たとえば、イエスさまの受難告知のように肉の思いでは受け入れ難いことが示されたとします。それでも主にあって子供たちを受け入れるように、肉の思いから離れて、示された霊的事実を受け入れるようにと言われているのです。それが、私たちの霊を育てるために神さまが用意されたものと信頼して、受けとめ、また受け入れていくのです。そうすれば、肉の思いから解放されて、霊が育てられる歩みとなります。
2024年9月29日 週報より