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2025年5月11日日曜日

母を敬う

聖書箇所 出エジプト2012節、コリント14節、ヘブル123節他

あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。出エジプ記2012

1.神さまのルール

聖書は「盗んではならない」という以上に「父と母を敬う」ことの大切さを教えています。私たちは生まれる時や場所を自分で決められません。いのちは神さまによるものです。自分にいのちがあることを認めれば、いのちの根源である神さまを認めることにもなります。その神さまが置かれた「母を敬う」というルールを尊重し、母親を認め受け入れていくことを神さまは望まれています。

2.慰めてくださるイエスさま

関係の良くない母親を私たちは敬えるでしょうか。実際に母子間には、いたるところに問題があります。それは人と人の間に罪が存在するからです。この罪には自分中心の思いから来る悪い心も含まれます。悪意、偽善、ねたみ、悪口は誰にもある罪です。しかし神さまは、イエスさまを信じることで私たちのすべての罪が赦されること、また私たちが神さまの慰めを受けることを約束されています。そうして私たちは、「母を敬う」ことを全うできるようになります。

3.元気をくださるイエスさま

聖書はこの世が罪に満ちる闇だといいます。そんな世を歩むには、イエスさまを信じて罪の闇から解放される必要があります。私という器は弱くても、その器にイエスさまが力を注いでくださいます。神の力で私たちは元気づけられて、世の闇を神の光とともに歩めるのです。私たちを愛してくださっている神さまを覚えて、神さまから慰めと力をいただきましょう。そして「母を敬い」、お母さまにまた身近な人々に感謝を贈る母の日といたしましょう。

2025511日 週報より

2025年3月9日日曜日

困難の中で神を喜ぶ

聖書箇所 詩篇131-6

しかしわたしはあなたのいつくしみに信頼し、わたしの心はあなたの救を喜びます。詩篇135

1.神への訴え

1-2節では、耐え難い状況の作者が、神さまに「いつまで」と訴えています。作者が苦しんでいるのは、神さまから見放されたとの思い、からだも心も疲れ果てていること、神さまが自分の敵を味方しているように感じていることでした。神さまは信仰者を見放すお方ではありません。作者はもがき苦しむ中で、信仰を働かすことができずにこのように感じていたのでしょう。しかしその状況を隠さず訴えて、神さまに全力でぶつかっています。

2.神への願い

3-4節は神さまへの願いです。どん底の状況のままで神さまに向き合った結果、信仰が働き始めました。神さまは必ず祈りに応えてくださるとの思いが強められ、祈りに導かれています。どんな苦しみによっても信仰が完全に消されることはありません。そしてどのような状況でもそのままの自分で神さまに向かえば、神さまへの信頼が回復し、自然に祈りへと導かれるのです。

3.神への感謝

5-6節では、これまでの訴えと願いが、感謝と告白に変えられています。作者は祈る中で、神さまのいつくしみに満たされました。祈りの結果を見なくても、神さまは最善に導いてくださるとの思いが強められたのです。そして心が悲しみから喜びに変えられていきました。神さまは信じた者を決して忘れることのないお方です。決して見捨てず、最後まで責任を持って守り導いてくださいます。

202539日 週報より

2025年1月19日日曜日

神のものを盗まない

聖書箇所 マルコによる福音書121-12

あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。                                                                マルコによる福音書1210

1.非難された指導者たち

ここでイエスさまはたとえ話をされます。ある土地に所有者がぶどう園を作ります。ぶどうを守る垣根をはり、設備も整えて、農夫を雇ってそこからいくらかの利益を納めてもらおうとします。しかし雇われた農夫たちは、全部自分たちのものにしようと所有者の息子を殺してしまいます。イエスさまは、この農夫こそが今の指導者たちの姿だとたとえ話を用いて非難されたのでした。

2.大切な石を捨てた指導者たち

指導者たちには、ユダヤの人々を神さまに忠実に歩めるように導いて育てる責任がありました。しかし彼らはたとえ話の中の農夫のように、主人である神さまに背を向けて歩んでいたのです。イエスさまはそんな彼らに、「あなたがたは、『隅のかしら石』であるわたしを殺すようになる」と彼らの中に恐ろしい心があることも明らかにされていました。

3.神から盗んでいた指導者たち

指導者たちは神さまから預けられた人々を自分たちのいいようにしていました。こうして神さまのものを盗んでいたのです。私たちが与えられている信仰の歩みは、神さま所有のぶどう園そのものです。よい実を結ぶように任せられているのです。その実はすべて神さまのものなのですが、私たちが自分たちのものとして受ける分も与えてくださっています。これが恵みです。この恵みに心から感謝していれば、神さまのものを盗むことがない歩みができるのです。

2025119日 週報より