ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年5月4日日曜日

闇を輝かせるイエス

聖書箇所 マルコによる福音書14章1-11節

この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。マルコによる福音書14章8節

1.祭司長や律法学者たちの闇

祭司長たちや律法学者たちは、民たちの心を神さまに向かせるよう指導する立場にありました。しかし今や自分たちの利益を守るために、神さまから遣わされたイエスさまを処刑しようと考えていました。彼らは神さまの前に、自分たちの非を認められませんでした。これが罪であり、人の愚かさそして人の闇です。聖書は私たちにも同じ闇があることを示しています。

2.ひとりの女性に見る光

イエスさまは香油を注いだ女性が、ご自身の葬りの備えをしたと言われました。彼女は自分のできる精一杯でイエスさまにお仕えしようとしました。聖書は、イエスさまが「世の光」だと言います。イエスさまに向けられたた女性の心は、イエスさまの光で満たされました。そしてその心は輝きを増して、喜びであふれていました。

3.ユダに見る闇の強さ

弟子のユダは、この女性よりもずっとイエスさまの近くに居ました。イエスさまに心の闇を拭い去っていただく多くの機会がありました。しかし彼は、ローマ帝国を力で制するイエスさまの姿だけを追い求めていました。そして十字架に向かっていかれるイエスさまに失望しました。ユダは自分から光であるイエスさまを離れ、サタンに付け入る隙を与えて、闇にとらわれていきました。人は自分の闇を認め、イエスさまの光で闇を照らしていただかなければ、闇から離れ、人としての輝きを持って歩むことはできないのです。

2025年5月4日 週報より


2025年2月23日日曜日

偽善を避けるには

聖書箇所 マルコによる福音書12章38-40節

イエスはその教の中で言われた、「律法学者に気をつけなさい。マルコによる福音書12章38節

1.律法学者の偽善

律法学者たちの多くは、「長い衣を着て歩き」、「広場であいさつされることや会場の上座を好み」、「未亡人となった人たちにもてなすように要求し」、「人前で長い祈り」をしていました。民たちはそんな彼らから指導を受けていました。イエスさまは民たちに、彼らのような見せかけだけの偽善的信仰者にならないようにと話されていたのです。

2.肉の思いとサタンの介入

律法学者たちは熱心な信仰者になろうとしていました。しかし自分たちの土台をこの世にしっかりと置いたままでした。この世のことだけに心を置いて、肉の欲の思うままに行動していました。そうすると心は神さまにではなく人の方にばかり向くようになります。人の目を気にして行動するところにサタンが働きます。彼らはこの在り方が神さまに喜ばれていると思い込むようにされていました。

3.偽善に誘うもの

私たちを偽善に誘うものは、「人目を気にして、人を見ようとする目」です。もちろん人のことを気にかけて思いやることや人との調和は大切です。ただ、何をするにも人からよく見られることが最大の関心事になると、肉の思いに支配されます。そこにサタンも働いて偽善的振舞いをするようになってしまうのです。誰でもイエスさまを信じれば、神さまの愛と神さまに愛されていることが分かります。神さまの愛で満たされることで、人目を気にして行動しようとする肉の思いを満足させる必要はなくなります。

2025年2月23日 週報より

2024年12月15日日曜日

クリスマスメッセージ 御手の守り

聖書箇所 ルカによる福音書1章5-25

するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。         ルカによる福音書1章18節

1.ザカリヤの背景

ローマの支配に苦しむ人々は、神さまが約束された救い主の訪れを待ち望んでいました。祭司であるザカリヤ夫妻は、律法の決まりを守り行う「神のみまえに正しい人」たちでした。しかし二人には子供はおらず、すでに年老いていました。祭司職は世襲制で、男の子供以外には引き継げません。ザカリヤの願いと祈りは、救い主の訪れによるイスラエルの平和と我が子の誕生であったでしょう。

2.ザカリヤの恐れと不信仰

彼が聖所で務めをしていると突然、御使い(天使)があらわれます。御使いは、恐れるザカリヤに男の子の誕生を告げます。しかし彼は信じられず、口をきけなくされます。彼の恐れや不信仰はどこから来たのでしょうか。それは神さまに仕えながらも心が神さまに向かず、子供の誕生を祈りながらも「もう無理」と思い込んでいたからでしょう。世的な肉の思いが彼の信仰を覆っていたのです。

3.ザカリヤの賛美

口がきけない苦しみの日々でも、彼は妻のお腹が少しずつ大きくなるのを見ます。彼はそこに神さまのあわれみと恵みを見続けました。やがて彼の口が開かれた時、恐れや苦しみによる恨み言ではなく、神を賛美する言葉が出ます。私たちもそれぞれにその人なりの恐れや苦しみがあります。しかし私たちは、それが全て益とされる神さまのご計画であり、御手の守りの中にあると信じることが大切です。そうすれば恐れ、辛さに悩む心が平安に変えられます。

2024年12月15日 週報より

 

2024年12月1日日曜日

盲人の信仰に倣う

聖書箇所 マルコによる福音書10章46-52節

彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。       マルコによる福音書10章47 節

1.盲人の告白

エリコの町で盲人のものごいが、イエスさまに叫び続けます。「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」との叫びは、彼の信仰告白でした。彼は、「救い主であるイエスさま、あなたは盲人の目をあけることもおできになります。あなたはすべてをご存知です。あなたのお心ならばあわれんでください」と叫び続けていたのです。イエスさまはこの告白に急ぐ足をとめられたのです。

2.盲人の確信

彼は、イエスさまが呼んでおられると聞いたとたんに、踊りあがって喜びました。彼はこの時もうすでに目が癒されることを確信していました。イエスさまが通られる唯一の機会を、彼は恵みの時としたのです。ものごいの境遇と戦いながら、それでも彼は救い主を心から待ち望み、神さまのあわれみが注がれることを信じ続けていました。イエスさまは、弟子としてのあるべき信仰の姿をこの盲人に見ておられました。

3.盲人の信仰

この盲人はただ神さまのあわれみにすがりました。「神さま、あなたは私のことをすべてご存知で、こんな私にも恵みを与えるあわれみ深いお方です。その恵みを私に受け取らせてください」。これがこの盲人の思いでした。イエスさまは「あなたのその信仰によってあなたは助けをいただいたのです」と言われたのでした。これまで霊の目で信じてきた彼は、この時から見える目で、イエスさまを仰ぎ従いました。私たちも「お心ならばあわれんでください」という盲人の信仰に倣って歩む者とされましょう。

2024年12月1日 週報より