キリストとは
聖書箇所 マルコによる福音書12章35-37節
このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか。マルコによる福音書12章37 節
1.民たちの願う救い主
イエスさまは「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子だと言うのか」と律法学者たちの教えに疑問を投げかけています。律法学者たちは、救い主であるキリストがダビデ王のように力でローマ帝国から解放してくださると考えていました。しかし彼らは聖書が示すキリストの一面しか見ずに、自分たちの都合の良いようにキリストを解釈し、それを民に教えていたのです。
2.罪からの救い主
イエスさまはダビデの詩篇を引用されました。それはキリストがダビテにとって我が主であって、ダビデの子孫というだけではないということでした。キリストは私たちを罪から解放して、神さまと私たちの平和を導く霊的な王として来られたのです。イエスさまは「今待ち望むべきキリストはこの罪からの救い主なのだ」と、彼らを正しい理解へと導こうとされていました。
3.真の喜びを与える救い主
確かにキリストは王として私たちをご支配(守りと導きを)くださいます。私たちを罪から救い、魂に平安を与える王になられたのです。やがてこの世が終りを迎える時、私たちを守り導く神の国の王として来られます。私たちはこの王なるイエス・キリストを土台として、自分の人生を建て上げることが大切です。イエスさまを信じるだけで、王なるイエスさまの守りと導きをいただいて、人としての真の喜びの人生を歩むことができるのです。
2025年2月16日 週報より