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2024年9月1日日曜日

主に従う喜び

聖書箇所 マルコによる福音書834-91

彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。                               マルコによる福音書834

1.自分を捨てる

イエスさまが「自分を捨て」と言われた「自分」とは、先にペテロが失敗した原因となったものでした。それは自制できない人間的な思いや感情です。それらは肉の思いから来ます。イエスさまは「まず自分の中にある肉の思いを捨てることが大切なのです。」と言っておられます。それには前回私たちが見た、いつも上にあるものを思って神さまのご支配くださる領域を広げることが助けになります。

2.自分の十字架

この十字架は、信じた一人一人に神さまが与えておられる役割のことです。それを忠実に果たしていくことが、「自分の十字架を負う」の意味です。神さまが信じた私たちに求めておられるのは、人を救う神さまのご計画を進めていくことです。それはイエスさまが再び来られる時まで、イエスさまの十字架の死と復活を告げ知らせていくことです。十字架や役割と言うと構えてしまうかもしれませんが、それぞれに置かれた場所での証しと捉えれば良いのではないでしょうか。

3.主に従う理由

35節以降は、自分の十字架を負うことがイエスさまに従う条件となる理由です。世の人々が肉の思いで努力して必死で求め、最高の幸せを得ようとする人生では本当の人の幸せはやって来ません。それは神さまを無視し、神さまに従順に生きようとしないからです。そして人としての尊厳が失われ、人を顧みずに自分の幸福や利益だけを追求します。そうではなくて、日々イエスさまに従うことで、本来の人らしく歩ませていただける喜びを日々味わう者とされましょう。


202491日 週報より

2024年5月12日日曜日

母の愛、母の罪

聖書箇所 列王紀上316-28

しかしほかのひとりは言った、「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください」。                         列王紀上326

1.ふたりの母の争い

2人の母親が1人の赤ちゃんを自分の子だとして争います。その裁判でソロモン王は、赤ちゃんを刀で二つにして2人の母親に与えるように命じます。すると片方の母親が、「赤ちゃんを殺さず別の女性にあげてください」と言います。それを聞いた王さまは、赤ちゃんの本当の母親がこの女性だと見定めます。王さまは、子供を守る母親の愛を良く知っていたので、本当の母親を知ることができたのです。

2.ひとりの女性にみる罪の影響

もう1人の女性は「赤ちゃんをそのまま刀で分けてください」と言いました。これには聖書が言う「罪」が影響しています。制限のきかない手に入れたいと思う強欲、自分は間違って赤ちゃんを死なせるはずがない、自分は正しいと思う自分本位、自分の子にならないなら相手の子にもしてほしくないと思うねたみ、これらは神さまが喜ばれない悪い心、「罪」です。そして聖書はこれらの「罪」がすべての人にあり、どうしても解決しなければならない問題であると言います。

3.イエスさまの愛

聖書には「罪」だけでなく「罪」から救われる道が示されています。それが神さまのひとり子イエスさまの十字架とその後の復活です。 母親が自分を犠牲にしてもわが子を助けたいと思うように、イエスさまは、ご自分を犠牲にしてすべての人が「罪」から救われることを願われました。イエスさまは私たちの「罪」を全部ご自分にきせて、その罰を十字架で受けてくださいました。イエスさまの流された尊い血によって、私たちはこのイエスさまを信じるだけで、私たちにあるすべての「罪」が赦されます。ここにイエスさまの愛があるのです。

2024512日 週報より