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2024年11月24日日曜日

仕える喜び

聖書箇所 マルコによる福音書1035-45

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、          マルコによる福音書1043

1.地位を求めた弟子たち

弟子の二人が、神の国の右大臣と左大臣にして欲しいと願い出ます。彼らは肉体の欲から来る強い思いがあったので、十字架の死と復活のことを聞いても、イエスさまが少し弱気になっておられるとしか受けとめられませんでした。私たちにもこのような肉の思いがあります。それが霊的な事実や教えを自分の都合の良いように曲げてしまうことを覚えておく必要があります。

2.神さまの目線

イエスさまは「偉くなりたい」という肉の思いから出た、弟子たちの世的反応の愚かさを明らかにされます。そして「あなたがたの間で偉くなりたければ、仕える人になりなさい」と言われました。神さまは、仕える人を人の上に立つ人と見てくださいます。私たちは神さまの目と世の目のどちらを大事にしているかをいつも確認して、神さまの目線を意識する必要があります。

3.仕えるために来られた主

「わたしが飲む杯」とは、十字架による苦しみと死を意味します。ここでの「バプテスマ」は、十字架を自らの意志で受け、人々にあらわすことです。イエスさまは、私たち一人一人のために仕える人となりこの地上に来られました。私たちを罪から救い出すためにご自身の命を十字架に献げるという仕え方をされたのです。神さまは私たちにもこの世での役割を与え、人に仕える歩みを喜べるようにしてくださっています。そして仕える私たちを高く引き上げてくださいます。私たちの労苦は主にあって無駄になることはありません。

20241124日 週報より

2024年6月2日日曜日

キリストの前に立つ

聖書箇所 マルコによる福音書614-29

ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。                                                                     マルコによる福音書616

1.救い主を受け入れられない人々

多くの人々がイエスさまを預言者だとしていました。ナザレの人々同様にメシヤ(救い主)が大工から出るはずはないとの思い込みがあったのです。また彼らは、イエスさまを預言者としておきたかったのです。預言者であれば、自分たちの信仰の在り方や立場が守られると考えていました。メシヤを受け入れるということは、全てを新しく造り変えてくださいと自分自信を差し出すことになるからです。

2.救い主を受け入れられないヘロデ

ヘロデは、バブテスマのヨハネが、正しい人だと受けとめていました。しかし妻ヘロデヤの策略でヨハネを殺したので、彼は正しい人を殺した罪意識に縛られました。しかもイエスさまがメシヤであるという真理に全く気付けませんでした。ヘロデが特別ではありません。今でも多くの人がこの世に捕われて、永遠の滅びに向かっているという真理に気づかないのです。しかしイエスさまを信じて罪赦された私たちは、真理をみつめて世に流されることのない歩みができるのです。

3.救い主を受け入れる信仰

ユダヤの多くの人々は、メシヤではなく預言者を迎える信仰にとどまっていました。またヘロデにいたっては大切なことが全く見えていませんでした。私たちはどうでしょうか。イエスさまを信じていても自分の力で大丈夫だと思っている部分はないでしょうか。そうではなくて、「主よ、罪だらけでどうしようもない私を全部受け入れてください、全て委ねますから私のすべてを造り変えてください。あなたにはその力があります」とこのように信じて求め続けていくこと、これがメシヤなるイエス・キリストの前に立つ信仰者の姿なのです。

202462日 週報より