ラベル ルカ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ルカ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年12月15日日曜日

クリスマスメッセージ 御手の守り

聖書箇所 ルカによる福音書1章5-25

するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。         ルカによる福音書1章18節

1.ザカリヤの背景

ローマの支配に苦しむ人々は、神さまが約束された救い主の訪れを待ち望んでいました。祭司であるザカリヤ夫妻は、律法の決まりを守り行う「神のみまえに正しい人」たちでした。しかし二人には子供はおらず、すでに年老いていました。祭司職は世襲制で、男の子供以外には引き継げません。ザカリヤの願いと祈りは、救い主の訪れによるイスラエルの平和と我が子の誕生であったでしょう。

2.ザカリヤの恐れと不信仰

彼が聖所で務めをしていると突然、御使い(天使)があらわれます。御使いは、恐れるザカリヤに男の子の誕生を告げます。しかし彼は信じられず、口をきけなくされます。彼の恐れや不信仰はどこから来たのでしょうか。それは神さまに仕えながらも心が神さまに向かず、子供の誕生を祈りながらも「もう無理」と思い込んでいたからでしょう。世的な肉の思いが彼の信仰を覆っていたのです。

3.ザカリヤの賛美

口がきけない苦しみの日々でも、彼は妻のお腹が少しずつ大きくなるのを見ます。彼はそこに神さまのあわれみと恵みを見続けました。やがて彼の口が開かれた時、恐れや苦しみによる恨み言ではなく、神を賛美する言葉が出ます。私たちもそれぞれにその人なりの恐れや苦しみがあります。しかし私たちは、それが全て益とされる神さまのご計画であり、御手の守りの中にあると信じることが大切です。そうすれば恐れ、辛さに悩む心が平安に変えられます。

2024年12月15日 週報より

 

2024年6月16日日曜日

父親とは

聖書箇所 ルカによる福音書1511-24

立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。                                                      ルカによる福音書1518

1.理想の父親とは

放蕩し落ちぶれて帰って来た息子の帰宅を、父親は喜び、文句ひとつ言わず迎え入れます。もちろん父親は子どもを正しく教え導く必要があります。ですが父親は子どもの性格や持って生まれたものを変えることはできません。子どもを自分とは違う1人の人として受け入れて、子どもを思いやり、そして子どもが傷ついて帰って来たときには温かく迎え入れる父親像がここに示されています。

2.父親の役割とは

聖書は父親が額に汗して働き、家族を養うようにと言います。また子供を正しく教え導くのも大切な父親の役割です。さらに夫として妻の弱さを認めて愛し、また尊敬するようにとも言われています。そんな多くの役割を担うお父さんが頼れる基準、善悪の完全な物差しが聖書です。聖書に頼るならば、「あの時と今で言うことが違う」と子供たちをいらいらさせることもありません。また夫婦の関係にも必ず良い影響を与えます。

3.父なる神さまに立ち帰る

しかし、人はだれも聖書に完全には従えません。人は皆、罪があるからです。盗むとか人を傷つけるだけでなく人の愚かさ、弱さ、赦せない心、自己中心などもすべて罪です。今日の箇所では弟息子が、自分の罪を認めて父親のもとに帰ります。私たちも自分の罪を認めて、父なる神さまのもとに帰る必要があります。神さまは、私たち11人を今日見た父親のように抱きしめたいと願っておられます。それを邪魔しているのが罪です。この罪が赦されて父なる神さまのもとに帰る道はただ一つです。神さまの御子イエスさまを信じることです。

2024616日 週報より