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2025年7月6日日曜日

サタンに負けない

聖書箇所 マルコによる福音書1443-52

「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、まちがいなく引っぱって行け」。マルコによる福音書1444

1.ユダの裏切り

ユダがイエスさまに接吻をします。当時の接吻は、弟子が師に対する最大の敬意を表す行為でした。しかしこれが裏切りの合図でした。この時もイエスさまはユダに「わたしはあなたを今も愛しています。今からでも間に合います。神に立ち帰って以前の弟子の姿で神に仕える者となるように」とユダへの愛と導きを示されています。

2.ユダの接吻

ユダは、どうして接吻を合図にしたのでしょう。考えられるのは、ユダはイエスさまの御力をよく知っていたので、その力で圧倒されないように、また逃げてしまわれないようにするためだったでしょう。ユダは接吻により、今でもイエスさまを敬愛している振りをしてイエスさまを油断させ、また混乱させて、イエスさまが確実に捕えられるようにしようとしたのです。

3.ユダから学ぶ

敬愛を示す接吻を裏切りの合図にしたユダを思う時、彼に働くサタンの恐ろしさを見ます。サタンに隙を見せないで、イエスさまから離れずにいるにはどうすれば良いのでしょうか。それは先週見たようにイエスさまに倣い、絶えず祈り続けて霊の目を開いていることです。「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい(エペソ6:18)」。聖書はこれが神の武具を身に着けて、サタンに負けないようにするための唯一の方法だと教えています。

202576日 週報より

2025年5月4日日曜日

闇を輝かせるイエス

聖書箇所 マルコによる福音書14章1-11節

この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。マルコによる福音書14章8節

1.祭司長や律法学者たちの闇

祭司長たちや律法学者たちは、民たちの心を神さまに向かせるよう指導する立場にありました。しかし今や自分たちの利益を守るために、神さまから遣わされたイエスさまを処刑しようと考えていました。彼らは神さまの前に、自分たちの非を認められませんでした。これが罪であり、人の愚かさそして人の闇です。聖書は私たちにも同じ闇があることを示しています。

2.ひとりの女性に見る光

イエスさまは香油を注いだ女性が、ご自身の葬りの備えをしたと言われました。彼女は自分のできる精一杯でイエスさまにお仕えしようとしました。聖書は、イエスさまが「世の光」だと言います。イエスさまに向けられたた女性の心は、イエスさまの光で満たされました。そしてその心は輝きを増して、喜びであふれていました。

3.ユダに見る闇の強さ

弟子のユダは、この女性よりもずっとイエスさまの近くに居ました。イエスさまに心の闇を拭い去っていただく多くの機会がありました。しかし彼は、ローマ帝国を力で制するイエスさまの姿だけを追い求めていました。そして十字架に向かっていかれるイエスさまに失望しました。ユダは自分から光であるイエスさまを離れ、サタンに付け入る隙を与えて、闇にとらわれていきました。人は自分の闇を認め、イエスさまの光で闇を照らしていただかなければ、闇から離れ、人としての輝きを持って歩むことはできないのです。

2025年5月4日 週報より


2025年2月23日日曜日

偽善を避けるには

聖書箇所 マルコによる福音書12章38-40節

イエスはその教の中で言われた、「律法学者に気をつけなさい。マルコによる福音書12章38節

1.律法学者の偽善

律法学者たちの多くは、「長い衣を着て歩き」、「広場であいさつされることや会場の上座を好み」、「未亡人となった人たちにもてなすように要求し」、「人前で長い祈り」をしていました。民たちはそんな彼らから指導を受けていました。イエスさまは民たちに、彼らのような見せかけだけの偽善的信仰者にならないようにと話されていたのです。

2.肉の思いとサタンの介入

律法学者たちは熱心な信仰者になろうとしていました。しかし自分たちの土台をこの世にしっかりと置いたままでした。この世のことだけに心を置いて、肉の欲の思うままに行動していました。そうすると心は神さまにではなく人の方にばかり向くようになります。人の目を気にして行動するところにサタンが働きます。彼らはこの在り方が神さまに喜ばれていると思い込むようにされていました。

3.偽善に誘うもの

私たちを偽善に誘うものは、「人目を気にして、人を見ようとする目」です。もちろん人のことを気にかけて思いやることや人との調和は大切です。ただ、何をするにも人からよく見られることが最大の関心事になると、肉の思いに支配されます。そこにサタンも働いて偽善的振舞いをするようになってしまうのです。誰でもイエスさまを信じれば、神さまの愛と神さまに愛されていることが分かります。神さまの愛で満たされることで、人目を気にして行動しようとする肉の思いを満足させる必要はなくなります。

2025年2月23日 週報より

2024年8月25日日曜日

上にあるもの

聖書箇所 マルコによる福音書822-33

「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。 

                                                                                      マルコによる福音書833

1.二回のいやし

盲人ははじめの癒しで、ぼんやり見えるようになりました。これは、真理をぼんやりながらも理解できている弟子たちの様子をあらわしていました。次の癒しで盲人は、はっきり見えるようになります。弟子たちも同じように、この後イエスさまの上からの力によって真理をはっきりと悟るようにされるのです。神さまは私たちにもそれぞれの信仰の状況に応じて導いてくださいます。上からの力で、更によく見えるようにしてくださるのです。

2.ペテロの信仰告白

イエスさまは、質問することによって弟子たちの信仰をさらに引き上げようとされます。ご自身の評判を尋ねたあとに「それではあなたがたはわたしを誰だといいますか」と鋭い質問をされました。この時ペテロは「神が約束された救い主で、神であるお方(つまりキリスト)です」と答えます。このペテロの信仰告白は、彼の知恵や判断ではなくて、神さまが語らせてくださったものでした(マタイ16:17)。

3.上にあるものを思う

イエスさまはこれから受けるべきことを弟子たちに話されました。イエスさまをいさめたペテロは、イエスさまから激しいおしかりの言葉を受けます。この時のペテロと同じように、私たちの口からも信仰による言葉もまた、信仰によらない言葉も出ます。このせめぎ合いから抜け出すには、聖霊に助けによって、いつも上にあるものを思うことです。今日の3つの話は一見バラバラに見えます。ですが私たちが上にあるものを思う時、神さまのご支配くださる領域が広がり、サタンが押し出されていくことを教えられているのです。

2024825日 週報より

2024年8月4日日曜日

世の束縛からの解放

聖書箇所 マルコによる福音書731-37

天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。マルコによる福音書734

1.イエスさまの口止め

イエスさまは癒しをされた後に「この事を誰にも言わないように」と言われました。癒しだけが強調されて伝わることのないためでした。しかし人々は、癒しの素晴らしさに感動して、言い広めてしまいます。自分の思いや考えで突き進んでしまうのではなくて、神さまのお心をいつも意識して歩むことの大切さが教えられています。

2.イエスさまのため息

「ため息をつき」は別の訳では「深く息をして」となっています。イエスさまはこの人の悩みや苦しみをご自身に負われました。そして信仰に導かれるようにとの思いが深い息となりあらわれたのでしょう。イエスさまは私たちの悩みや苦しみもご自身で負い、深い息をされて、神さまとの間で常にとりなしてくださっています。なんという幸い、なんという恵みなのでしょう。

3.イエスさまの「エパタ」の声

「エパタ」は「開けよ」という意味です。ここではイエスさまが、この人の耳や口を閉じた何者かに向かって言われたように感じられます。書かれていないのではっきりとは言えませんが、「彼の耳や口を閉ざすのはやめて早く開けるように」と言われたと考えられます。

実はこの世はサタンの支配下にあります。サタンは人々を世につなぎとめて、神さまに目を向けさせないようにしています。人は自分の力でこの束縛を解くことができません。しかしイエスさまは「エパタ(開けよ)」と言って、私たちをこの世の束縛から解放してくださいます。私たちはイエスさまを信じることで、神さまに目を向け、本来の人としての正しい歩みをする喜びをいただくことができるのです。

202484日 週報より