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2026年7月12日日曜日

試練とは

聖書箇所 コリント人への第一の手紙101-13

神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。Ⅰコリント1013

1.出エジプトの民

パウロは、出エジプトの民の失敗を通して、肉の思いに従う危険を示しています。神さまの導きを受けながらも、民は見える安心を求めて偶像礼拝に走り、不品行、主への試み、つぶやきを繰り返し、信仰の歩みから離れました。これらはコリント教会にも見られた問題でした。見えない神さまを信頼し、自分の思いや欲望を優先することを戒め、霊によって歩み続けるようにと勧められています。

2.試練とのがれる道の備え

霊で歩むとは、神さまの約束と導きだけを信じて歩むことです。しかしそれはこの世の激しい流れに立ち止まり、時に逆行して進むようなものです。そこには激しい摩擦が生じます。この摩擦が信仰者の試練となるのです。神さまはこの試練を私たちの信仰の成長のために備えられています。

肉の思いに従えば、偶像礼拝や欲望、神さまへの試みやつぶやきにつながります。そして自分でも気づかないうちに霊の歩みから離れてしまいます。しかし神さまは、真実なお方です。霊によって歩もうとする者を決して見捨てず、試練に耐える力とのがれる道を備えてくださいます。試練は私たちを倒すためのものではありません。私たちが神さまへの信頼を深め、霊を成長させるための神さまの備えです。真実なこのお方を信じ、つぶやかずに感謝をもって、聖霊の導きに従って歩み続ける大切さが教えられています。

2026712日 週報より

2025年2月23日日曜日

偽善を避けるには

聖書箇所 マルコによる福音書12章38-40節

イエスはその教の中で言われた、「律法学者に気をつけなさい。マルコによる福音書12章38節

1.律法学者の偽善

律法学者たちの多くは、「長い衣を着て歩き」、「広場であいさつされることや会場の上座を好み」、「未亡人となった人たちにもてなすように要求し」、「人前で長い祈り」をしていました。民たちはそんな彼らから指導を受けていました。イエスさまは民たちに、彼らのような見せかけだけの偽善的信仰者にならないようにと話されていたのです。

2.肉の思いとサタンの介入

律法学者たちは熱心な信仰者になろうとしていました。しかし自分たちの土台をこの世にしっかりと置いたままでした。この世のことだけに心を置いて、肉の欲の思うままに行動していました。そうすると心は神さまにではなく人の方にばかり向くようになります。人の目を気にして行動するところにサタンが働きます。彼らはこの在り方が神さまに喜ばれていると思い込むようにされていました。

3.偽善に誘うもの

私たちを偽善に誘うものは、「人目を気にして、人を見ようとする目」です。もちろん人のことを気にかけて思いやることや人との調和は大切です。ただ、何をするにも人からよく見られることが最大の関心事になると、肉の思いに支配されます。そこにサタンも働いて偽善的振舞いをするようになってしまうのです。誰でもイエスさまを信じれば、神さまの愛と神さまに愛されていることが分かります。神さまの愛で満たされることで、人目を気にして行動しようとする肉の思いを満足させる必要はなくなります。

2025年2月23日 週報より

2025年2月9日日曜日

大切な霊の思い

聖書箇所 マルコによる福音書1228-34

また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。マルコによる福音書1233

1.律法学者の質問

一人の律法学者がイエスさまの巧みな回答に感心して、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」と質問をします。彼は律法の専門家であることを誇らず、自分の立場にもこだわらない低い心の人でした。それは神さまの前に正しくありたいという霊の思いを大切にしていたからでしょう。彼は肉の思いの上にこの霊の思いを置いて、人を見ずに神さまを見て歩んでいました。

2.律法学者の応答

この質問にイエスさまは「神さまのお心は、あなたがたが神さまを愛し、隣人を愛することだ」と答えられます。この律法学者もイエスさまと同じ思いがあったので、「すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」とすぐに応答できました。イエスさまのお言葉が、彼の中にある霊の思いを引き出したのです。私たちも彼のように霊の思いで反応する信仰者でありたいと思わされます。

3.ほめられた律法学者

イエスさまはこの律法学者をほめました。それは「あなたの答えは、神さまが語らせてくださったものだ」と悟らせるためであったと考えられます。信じた私たちは、「神さまに従います、従えるように導いてください」と願い求めて、自分自身を明け渡していくことが大切です。そうすれば、霊の思いによって神さまが語らせてくださり、そこにある神さまのお心を理解することができるのです。

20252月に9日 週報より

2024年6月30日日曜日

霊的成長

聖書箇所 マルコによる福音書645-52

しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。                  マルコによる福音書650

1.人々と弟子たちのための祈り

イエスさまは人々を解散させ、弟子たちを向こう岸に送り出した後、祈るために山へ退かれました。五つのパンと二ひきの魚の奇跡を通して人々が信仰に導かれ、弟子たちの信仰が強められるように父なる神さまに祈る必要を覚えられたのでしょう。父なる神さまが人々の霊そのものを捉えてくださり、育んでくださらなければ、なされた奇跡も意味がないことをイエスさまは良くわかっておられました。

2.弟子たちのための奇跡

弟子たちは宣教の働きやパンと魚の奇跡によって、神さまの力の素晴らしさと必要を経験しました。しかし今、湖上の逆風の中で自分たちの力だけで必死に舟を進めようとしていました。イエスさまはそんな弟子たちをあわれまれます。イエスさまは夜の湖上の弟子たちの出来事を見通し、湖の上を歩き、舟に乗り込んで逆風をしずめるという三つの奇跡をなされます。これらは弟子たちが信仰を働かせ神さまに頼るきっかけを与えるための奇跡でした。

3.弟子たちと私たちの霊的成長

培われたはずの弟子たちの信仰はどこかに行ってしまっていました。信仰による経験をその場限りでしまい込んでしまったからです。私たちの信仰経験も肉の思いに覆われ、しまい込まれてしまいやすいのです。これを避けるには、与えられる経験のすべてが信仰に意味あるものとしていくことです。霊的成長とは、霊的感度の高い状態を維持し、肉の思いに覆われる時間を短くすることです。そのために聖霊を意識して、お言葉を霊の力としていただき続けるのです。こうして聖霊は、悟ることのできない私たちの心を開いてくださいます。

2024年6月30日 週報より