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2024年7月7日日曜日

霊的成長をさまたげるもの

聖書箇所 マルコによる福音書653-56

その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。                                                                 マルコによる福音書655

今日の箇所で見られる人々の不信仰な姿から、霊的な歩みを妨げるものについて見てみましょう。

1.ご利益信仰

ご利益信仰とは、自分の思いの達成のためだけに神さまを利用したいと願うことです。しかし私たちが目を向けるべきは、人を永遠の滅びに向かわせている罪からの解放です。罪の救い主であるイエスさまを信頼して仰ぐことです。自分のために利用する神さまへの向かい方ではなくて、自分を神さまに用いていただくために神さまに自分を明け渡していくことが大切です。

2.常に自分に向かう目線

人々はあまりにも自分自身に目を向けすぎていました。そうなると肉の欲は活発に活動しますが、霊は働かなくなります。私たちがまず神さまに目を向ける時に、自分がいかに神さまのお心にふさわしくない、愚かでみじめな者であるかを知らされ、ただ神さまの前にひれ伏すしかできなくなります。すると私たちの霊が働き始めるのです。

3.自己中心の思い

目線が常に自分に向かえば、自己中心的な思いに満たされます。人を無視して自分のしたい放題になるのです。肉の欲から来る思いは、気づかないうちに自己中心の思いをおこさせます。そしてご利益信仰へと向かわせます。肉の思いに対抗できるのは聖霊だけです。聖霊を意識し、聖霊の助けでお言葉から力をいただき、またお言葉に従うことで、強力な肉の思いから解放されるのです。そうすれば目線は神さまに向き、思いは神さま中心となり、霊的な成長を続けられます。

2024年7月7日 週報より

2024年6月30日日曜日

霊的成長

聖書箇所 マルコによる福音書645-52

しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。                  マルコによる福音書650

1.人々と弟子たちのための祈り

イエスさまは人々を解散させ、弟子たちを向こう岸に送り出した後、祈るために山へ退かれました。五つのパンと二ひきの魚の奇跡を通して人々が信仰に導かれ、弟子たちの信仰が強められるように父なる神さまに祈る必要を覚えられたのでしょう。父なる神さまが人々の霊そのものを捉えてくださり、育んでくださらなければ、なされた奇跡も意味がないことをイエスさまは良くわかっておられました。

2.弟子たちのための奇跡

弟子たちは宣教の働きやパンと魚の奇跡によって、神さまの力の素晴らしさと必要を経験しました。しかし今、湖上の逆風の中で自分たちの力だけで必死に舟を進めようとしていました。イエスさまはそんな弟子たちをあわれまれます。イエスさまは夜の湖上の弟子たちの出来事を見通し、湖の上を歩き、舟に乗り込んで逆風をしずめるという三つの奇跡をなされます。これらは弟子たちが信仰を働かせ神さまに頼るきっかけを与えるための奇跡でした。

3.弟子たちと私たちの霊的成長

培われたはずの弟子たちの信仰はどこかに行ってしまっていました。信仰による経験をその場限りでしまい込んでしまったからです。私たちの信仰経験も肉の思いに覆われ、しまい込まれてしまいやすいのです。これを避けるには、与えられる経験のすべてが信仰に意味あるものとしていくことです。霊的成長とは、霊的感度の高い状態を維持し、肉の思いに覆われる時間を短くすることです。そのために聖霊を意識して、お言葉を霊の力としていただき続けるのです。こうして聖霊は、悟ることのできない私たちの心を開いてくださいます。

2024年6月30日 週報より