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2026年6月7日日曜日

自分の思いを越えて

聖書箇所 コリント人への第一の手紙91-7

あなたがたは、主にあるわたしの働きの実ではないか。Ⅰコリント91

1.反発を予想していたパウロ

パウロは、「偶像にささげられた肉を食べても信仰的には問題ないが、兄弟姉妹をつまずかせるなら控えるべきだ」と教えました。しかしコリント教会の人々の中に反発があることも予想していました。パウロの使徒としての権威や教えを疑う人々がいたからです。パウロは彼らが神さまへの信頼を回復し、聖霊によってみ言葉を受け取ることができるようにと願っていたのです。

2.自分の思いにとどまるコリントの人々

コリントの人々は自分たちの知識や考えにこだわり、人の弱さを語るパウロに違和感を抱くようになりました。自分の思いや感覚で判断していくと神さまの大きなご計画や祝福は受け取れなくなります。そうではなくて、自分の考えにこだわらずに素直にみ言葉を受け入れると信仰は成長していくのです。

3.使徒の権利を用いないパウロ

パウロには使徒として生活の支えを受ける権利がありましたが、それを用いませんでした。それは彼が使徒ではないからではなく、福音のため、そして人々をつまずかせないために敢えてそうしたのでした。肉を食べる自由を愛のために控えるのと同じように、自分の権利も愛のために手放しました。パウロは知識や正しさを主張するよりも愛の実践を大切にしたのです。神さまは私たちを「自分の権利」や「自分の正しさ」にこだわるのではなくて、相手のことを思って行動する歩みへと導こうとされているのです。

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2026年5月24日日曜日

神のもとに帰る群れ

聖書箇所 コリント人への第一の手紙81-6

わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。Ⅰコリント86

1.「愛」という判断基準

コリント教会では、偶像に供えられた肉を食べてもよいかが問題になっていました。人々は知識によって「偶像には実体がない」と理解していました。ここでパウロは「愛」を土台に考えるべきだと教えます。知識だけでは人は高ぶり、群れを傷つけてしまいます。しかし聖霊の助けをいただいて、回りの人々への配慮と愛の心で判断すれば、正しい答えが導かれるとパウロは言います。

2.偶像の背後で働く悪霊

偶像そのものに力はなく、偶像の神に振り回される必要がないというのは知識においては正しいのです。しかしそこに働く悪霊が人や物を汚している事実を忘れてはならないとパウロは言います。

私たちは知識だけで「問題ない」と軽く考えるのではなく、人を神さまから引き離そうとする霊的な現状に注意する必要があると教えられているのです。

3.神に帰する私たち

福音によって私たちは、唯一の神こそが本来帰る場所だと知らされています。神のもとにある時、人は本当の平安を得ることができます。しかしコリント教会では、個人の信仰はあっても、群れとして互いを愛し支え合う姿が弱く、分裂や争いが起きていました。   パウロは、聖霊によって一人一人の愛の配慮が育つことを願っていました。そうなれば、教会は群れとして神さまのもとに落ち着く場所を見出して、神さまの愛と平安に満たされた群れとされるのです。

2026524日 週報より

2026年3月15日日曜日

私のように~パウロの願い

聖書箇所 コリント人への第一の手紙71-7

わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。Ⅰコリント77

1.質問の背景

コリントの町は港町として栄え、宗教や文化が混ざり合う中で、性的な乱れが当たり前のようになっていました。その影響は教会にも及び、信仰を持ってもそれを軽く考える人がいました。一方で、性的なことがらすべてを汚れと考える人もいました。彼らのこのような教会内での理解の違いが、放置できない問題となっていました。そこでパウロに質問が送られたのです。

2.質問への答え

パウロは、性的なことがらを避けて生きられるならそれも良いと言います。しかしそれを否定しているのではありません。性的なことも神さまによって与えられた恵みであり、結婚した夫婦の間で大切に用いられるものだからです。結婚していても独身であっても、それが神さまに与えられた賜物だと受け取って、神さまを第一にして仕えていくことが大切なのだとパウロは説明しています。

3.限定的恵み

私たちは神さまから多くの恵みを与えられています。ですが私たちはそのすべてを同じように用いる必要はありません。性的なことについては、結婚という枠の中で「限定された神の恵み」であることを覚える必要があります。世には夫婦の枠を超えさせようとする多くの誘惑があります。これは世がサタンの支配であることを明確にしています。信仰者は、与えられた恵みを正しく用い、神さまのことを第一にして喜ばれる歩みをすることが大切なのです。

2026315日 週報より

2026年2月15日日曜日

罪に目を向けて

聖書箇所 コリント人への第一の手紙59-13

その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。Ⅰコリント513

パウロは、前の手紙(詳細は不明)が誤解されていることを述べ、信仰者が聖さを保つための大切なことを伝えようとしています。

1.信仰者への悪影響

信じていながら罪(聖書が指摘する罪)にとどまり続ける人は、イエスさまの目線で自分を見ようとせず、聖霊の導きにも背を向けています。その姿は周りの信仰者の弱さを刺激し、肉の思いを引き出していきます。信仰者であっても決して強くはなく、影響を受けやすい存在です。だからパウロは、罪にとどまり続ける人との交わりを避けるように忠告をしています。

2.群れへの悪影響

罪にとどまり続ける人をそのままにしておくと、教会が誤解され、福音の証しが弱められてしまいます。本来、教会は愛をもって忠告し、悔い改めの機会を与える場所です。しかし、重ねて勧めても聞き入れないならば、教会の健全さと証しを守るため、距離を置く必要があるとパウロは教えています。

3.神が嫌うもの

罪にとどまり続ける歩みは、神さまが忌み嫌われるものです。だから神さまを主と信じる者は、それを軽く見てはなりません。私たちは、その人の重荷を覚えて祈り、主にある愛をもって正しく忠告をします。それでも立ち返ることができない場合は、神さまの聖さを大切にするためにその人を神さまの御手に委ね、交わりを避けることが求められています。

2026215日 週報より

2025年11月30日日曜日

どういうふうに建てるか

 

聖書箇所 コリント人への第一の手紙3章10-17節


なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。コリント人への第一の手紙311

1.土台をすえたパウロ

 パウロは、イエス・キリストという確かな土台をすえるように根気強く教えました。しかしコリントの人たちは、それをよく理解しないまま放置して大切にせず、彼らの土台は崩れていました。その結果、霊的に成長せず、肉の思いで派閥争いをし、教会全体に混乱を招いていたのです。パウロは霊による歩みを忘れた彼らの姿を深く悲しみ、彼らの根本的な問題を明らかにしています。

2.気をつけて建てる

 キリストという土台にどのような信仰の家を建てるかは、信仰者一人一人に任されています。様々な教えや導きを受けて建てても、神のみ心に沿わない建物は、終わりの日には残らないとパウロは警告します。私たちはまず、キリストという土台に立ち、肉の思いではなく、神さまの言葉と聖霊によって歩むことで、神さまに祝福される信仰の家を建て上げることができるのです。

3.神の宮である群

 教会は、聖霊が共に住まわれ、群れ全体がキリストの土台に立つ「神の宮」です。しかしコリントでは、派閥争いが聖霊の働きを妨げて群れを弱らせていました。パウロは、この群れを乱す歩みは、大切な土台さえ失う大きな危険があると警告しています。私たちは、聖霊の導きに従って一致する、神の宮に相応しい群れでしょうか。まずは、一人一人が自分の思いに流されていないかを顧みましょう。

2025年9月21日日曜日

キリストのいのちを共有する

聖書箇所 コリント人への第一の手紙14-9

神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。  コリント19

1.真実な神

パウロは、派閥争いをしているコリントの人たちに「いつも神に感謝している」と言っています。彼らへの厳しい批判が出てもしかたのない状況でしたが、パウロの視点は違っていました。神さまが彼らをサタンの手から救い、恵みを注がれたことを喜んで感謝していました。「神は真実なかたである」ことを確信していたからです。

2.主にある確信

さらにパウロは、神さまが御国に迎え入れてくださる時まで、彼らの信仰を保持してくださること信じていました。パウロには、神さまご自身が彼らを召されたこと、また、真実な神さまがこのすばらしい霊的事実を無駄に終わらせることはないと分かっていたのです。そして神さまが責任をもって終わりの時まで彼らの歩みを支えくださることをパウロは確信していました。

3.キリストの交わり

「だからあなたがたはどれほど恵まれ、祝福されているのかをもっと自覚してほしい」。この思いで、パウロは「キリストの交わり」についても語ります。これは「キリストの永遠の命」を共有して、キリストの持つ驚くべき力、恵み、祝福をいただいていることです。パウロはコリントの人たちが霊的な歩みをするように、このことを悟らせようとしていました。私たちも、キリストの交わりに生かされて、「キリストのいのち」を共有している幸いをあらためて覚えましょう。そしてこの恵みを日々味わう者とさせていただきましょう。

2025921日 週報より

2025年9月14日日曜日

教会~人でなく神を見る群

聖書箇所 コリント人への第一の手紙

神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ Ⅰコリント11

1.コリントの町

当時コリントは港湾商業地として栄えていました。歓楽街が連なる町で、社会の秩序はとても乱れていました。パウロはこの町に一年半とどまって、福音を伝え続けます。アポロがその働きを引き継ぎましたが、その後は指導者がいなくなりました。周囲の乱れた環境の影響もあり、教会の中で様々な問題が起こります。それを耳にしたパウロが必要を覚えて書いたのがこの手紙です。

2.キリストの使徒パウロ

コリント教会では分派の問題があり、どの指導者が一番良いのかという議論が起こっていました。パウロはここで、「神の御旨により召されたキリスト・イエスの使徒」という表現を用いています。一派閥の指導者としてではなく、神さまが立てられた使徒の言葉として、私の声に耳を傾けるようにとの願いが込められています。パウロ自身の思いからではなく、神さまの代弁者としての言葉であることを教会の人々に受けとめてもらう必要があったからです。

3.み言葉に委ねる

パウロはここで「主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に」と言います。「神さまが呼び集められた群れである」と示し、人ではなく、神さまに目を向けさせようとしています。たとえ人を介して語られていても、神さまが直接私に語りかけてくださっていると受けとめる信仰が必要なのです。語る人の評価ではなく、語られたお言葉に自分を委ねて神さまを見上げる大切さが示されています。

2025914日 週報より