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2025年11月30日日曜日

どういうふうに建てるか

 

聖書箇所 コリント人への第一の手紙3章10-17節


なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。コリント人への第一の手紙311

1.土台をすえたパウロ

 パウロは、イエス・キリストという確かな土台をすえるように根気強く教えました。しかしコリントの人たちは、それをよく理解しないまま放置して大切にせず、彼らの土台は崩れていました。その結果、霊的に成長せず、肉の思いで派閥争いをし、教会全体に混乱を招いていたのです。パウロは霊による歩みを忘れた彼らの姿を深く悲しみ、彼らの根本的な問題を明らかにしています。

2.気をつけて建てる

 キリストという土台にどのような信仰の家を建てるかは、信仰者一人一人に任されています。様々な教えや導きを受けて建てても、神のみ心に沿わない建物は、終わりの日には残らないとパウロは警告します。私たちはまず、キリストという土台に立ち、肉の思いではなく、神さまの言葉と聖霊によって歩むことで、神さまに祝福される信仰の家を建て上げることができるのです。

3.神の宮である群

 教会は、聖霊が共に住まわれ、群れ全体がキリストの土台に立つ「神の宮」です。しかしコリントでは、派閥争いが聖霊の働きを妨げて群れを弱らせていました。パウロは、この群れを乱す歩みは、大切な土台さえ失う大きな危険があると警告しています。私たちは、聖霊の導きに従って一致する、神の宮に相応しい群れでしょうか。まずは、一人一人が自分の思いに流されていないかを顧みましょう。

2025年11月16日日曜日

乳飲み子からの成長

聖書箇所 コリント人への第一の手紙31-4

すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。Ⅰコリント34

1.乳と堅い食物

信仰を持ったばかりのコリントの教会の人々は、霊的には乳飲み子の状態でした。パウロは彼らに飲みやすい乳(福音の基本)を与え、養いました。しかし彼らの心は世の考えや欲に支配され、聖霊の導きを受け取れずにいました。結果として、霊的成長がないまま、未だ堅い食物を食べる力(み言葉を霊の糧とする力)を持てませんでした。私たちは、み言葉を人間的理解にとどめないで、そこにある神さまのみこころを悟ることで霊的に成長していくのです。

2.肉の人

コリントの教会では、ねたみや争いから分派が起きていました。彼らは知識が深まったと思っていましたが、実際は肉の思いが強まり、霊の成長はありませんでした。プライドや自己中心にとらわれ、神さまよりも自分を優先していたのです。パウロはその姿を「肉の人」と呼び、悔い改めを求めました。肉の思いに気付いたらそこから離れて、砕かれた心で神さまの前に立つことが大切です。

3.ただの人

パウロは、救われながらも世の人と同じコリントの人々を「ただの人」と呼びます。信仰者は、聖霊に導かれて天国人として歩むように召されています。世の価値観に流されず、キリストの心を自分の心とするのです。このキリストの心が自分の肉の思いに取って代わるように、聖霊に信頼を寄せ続けることが求められているのです。

20251116日 週報より

2025年10月26日日曜日

弱さに働く神の力

聖書箇所 コリント人への第一の手紙21-5

それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。コリント25

1.知恵を用いなかったパウロ

アテネでの宣教ではイエスの復活が受け入れられずに、失意の中でコリントに来たパウロでした。ここで彼は、自らの弱さを隠さず、ただ十字架につけられたキリストを語ることに徹しました。巧みな言葉や人間的知恵に頼らず、聖霊の力にのみ期待して宣べ伝えたのです。パウロは自らの弱さを認めながら、結果ではなく主が働いてくださることに集中し、また期待して語り続けました。

2.パウロの伝えたかったこと

パウロは、コリントの人々の信仰が彼らの努力や知恵によるのではなく、神の力と聖霊の働きで与えられたものだと教えました。人々は、パウロ自身が弱さを覚えて語った福音を通して信じました。それは神さまからの一方的な御恵みでした。そんな人々が自分の知恵や力を誇り、派閥争いをする姿を見て、パウロはあなたがたの信仰はただ神さまによることを思い出すようにと伝えていました。

3.パウロの言う「神の力」

ここでパウロが言う「神の力」とは、奇蹟のことではなく、信仰者の霊を強める上からの力です。この力は自らの弱さを認め、神さまに全き信頼を置く者に注がれ、信仰を支え育てる力です。しかし自力や知恵に頼む者には及ぶことはありません。パウロは、この「神の力」により信仰者が立ち続け、どんな苦難の中でも平安と喜びを失わず歩めることを願っていました。「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」これが神さまの約束です。

20251026日 週報より

2025年9月28日日曜日

十字架を無駄にしない

聖書箇所 Ⅰコリント110-17

はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。Ⅰコリント112

14つの派ばつ

パウロの次の指導者アポロは、聖書に精通していて、しかも雄弁でした。一方パウロは、外見は弱々しく、話はつまらなかったと言われています。彼らは、パウロ派とアポロ派に分かれました。さらにケパ(ペテロ)を推すケパ派、またキリスト派も登場し、四つの派ばつがお互いに対立していました。この派ばつ争いが、キリストの十字架による恵みをむなしくしていたのです。

2.教会の一致

10節で「堅く結び合う」と訳されている言葉は、あるべき姿に戻すと言う意味です。受け身の形で書かれていますから、「キリストによって一つになり、本来あるべき姿にもどされた」ということです。「それを壊さないように保持してほしい」というパウロの思いが込められています。一人一人が、キリストと結びつくことで全体が霊的にひとつにされる、これがイエスさまのお体である教会です。

3.人を見たコリントの人々

パウロもアポロもケパも、自ら派ばつを立ち上げた訳ではありません。コリントの人たちが自分たちの思いで派ばつをつくりました。彼らは、他のグループより優位に立ち、勢力を伸ばすことで、自分たちの信仰が成長すると信じていました。パウロは、それがキリストの十字架の恵みをむなしくしていると示します。人を見るのではなく、ただキリストを見ていけば、十字架の恵みが無効になることなど決してなく、恵みが増し加えられていくのです。

2025928日 週報より

2025年9月21日日曜日

キリストのいのちを共有する

聖書箇所 コリント人への第一の手紙14-9

神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。  コリント19

1.真実な神

パウロは、派閥争いをしているコリントの人たちに「いつも神に感謝している」と言っています。彼らへの厳しい批判が出てもしかたのない状況でしたが、パウロの視点は違っていました。神さまが彼らをサタンの手から救い、恵みを注がれたことを喜んで感謝していました。「神は真実なかたである」ことを確信していたからです。

2.主にある確信

さらにパウロは、神さまが御国に迎え入れてくださる時まで、彼らの信仰を保持してくださること信じていました。パウロには、神さまご自身が彼らを召されたこと、また、真実な神さまがこのすばらしい霊的事実を無駄に終わらせることはないと分かっていたのです。そして神さまが責任をもって終わりの時まで彼らの歩みを支えくださることをパウロは確信していました。

3.キリストの交わり

「だからあなたがたはどれほど恵まれ、祝福されているのかをもっと自覚してほしい」。この思いで、パウロは「キリストの交わり」についても語ります。これは「キリストの永遠の命」を共有して、キリストの持つ驚くべき力、恵み、祝福をいただいていることです。パウロはコリントの人たちが霊的な歩みをするように、このことを悟らせようとしていました。私たちも、キリストの交わりに生かされて、「キリストのいのち」を共有している幸いをあらためて覚えましょう。そしてこの恵みを日々味わう者とさせていただきましょう。

2025921日 週報より

2025年9月14日日曜日

教会~人でなく神を見る群

聖書箇所 コリント人への第一の手紙

神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ Ⅰコリント11

1.コリントの町

当時コリントは港湾商業地として栄えていました。歓楽街が連なる町で、社会の秩序はとても乱れていました。パウロはこの町に一年半とどまって、福音を伝え続けます。アポロがその働きを引き継ぎましたが、その後は指導者がいなくなりました。周囲の乱れた環境の影響もあり、教会の中で様々な問題が起こります。それを耳にしたパウロが必要を覚えて書いたのがこの手紙です。

2.キリストの使徒パウロ

コリント教会では分派の問題があり、どの指導者が一番良いのかという議論が起こっていました。パウロはここで、「神の御旨により召されたキリスト・イエスの使徒」という表現を用いています。一派閥の指導者としてではなく、神さまが立てられた使徒の言葉として、私の声に耳を傾けるようにとの願いが込められています。パウロ自身の思いからではなく、神さまの代弁者としての言葉であることを教会の人々に受けとめてもらう必要があったからです。

3.み言葉に委ねる

パウロはここで「主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に」と言います。「神さまが呼び集められた群れである」と示し、人ではなく、神さまに目を向けさせようとしています。たとえ人を介して語られていても、神さまが直接私に語りかけてくださっていると受けとめる信仰が必要なのです。語る人の評価ではなく、語られたお言葉に自分を委ねて神さまを見上げる大切さが示されています。

2025914日 週報より

2025年1月1日水曜日

お言葉をそのまま受け取る

聖書箇所 ローマ人への手紙108

言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある。        ローマ人への手紙108

1.パウロの願い

パウロはユダヤ人でしたが、異邦人の救いのために遣わされました。そして、同じユダヤ人の救いをも心から願っていました。ユダヤ人たちは律法を守るための決まりを自分たちでたくさんつくり、それをひたすら守っていたのです。しかしパウロは、律法を守るという行いによる義ではなくて、救い主イエスさまを信じて、信仰による義へと彼らを導こうとしていました。

2.パウロの導き

パウロは「イエス・キリストが十字架の死によって神の義をいただける道を備えてくださいました。そのイエス・キリストを信じるだけです。そうすれば神の前に義とされます。人の頑張りや律法を守ることで神の義を得ようとする必要はありません。神さまに心を向けていれば、神さまの前に義として歩むことができるように神さまがしてくださいます」と言っています。

3.私たちへの導き

ユダヤ人たちの間違いの始まりは、神さまのお言葉を頭で理解し納得しようとしたことでした。これに対してパウロは、「神さまからのお言葉は私たちのそばにあり、私たちの口にあり、私たちの心にあって、それを行うことができるように神さまが力をくださるのです」と言います。近くにあるお言葉を遠くしているのは、世的な考えや自分の頭で納得したいと思う思いなのです。私たちも聖霊のお導きをいただきながら、お言葉を素直に受け取りましょう。お言葉を身近なものとして新しい一年を歩んで参りましょう。

02511日 元日礼拝プログラムより