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2025年10月26日日曜日

弱さに働く神の力

聖書箇所 コリント人への第一の手紙21-5

それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。コリント25

1.知恵を用いなかったパウロ

アテネでの宣教ではイエスの復活が受け入れられずに、失意の中でコリントに来たパウロでした。ここで彼は、自らの弱さを隠さず、ただ十字架につけられたキリストを語ることに徹しました。巧みな言葉や人間的知恵に頼らず、聖霊の力にのみ期待して宣べ伝えたのです。パウロは自らの弱さを認めながら、結果ではなく主が働いてくださることに集中し、また期待して語り続けました。

2.パウロの伝えたかったこと

パウロは、コリントの人々の信仰が彼らの努力や知恵によるのではなく、神の力と聖霊の働きで与えられたものだと教えました。人々は、パウロ自身が弱さを覚えて語った福音を通して信じました。それは神さまからの一方的な御恵みでした。そんな人々が自分の知恵や力を誇り、派閥争いをする姿を見て、パウロはあなたがたの信仰はただ神さまによることを思い出すようにと伝えていました。

3.パウロの言う「神の力」

ここでパウロが言う「神の力」とは、奇蹟のことではなく、信仰者の霊を強める上からの力です。この力は自らの弱さを認め、神さまに全き信頼を置く者に注がれ、信仰を支え育てる力です。しかし自力や知恵に頼む者には及ぶことはありません。パウロは、この「神の力」により信仰者が立ち続け、どんな苦難の中でも平安と喜びを失わず歩めることを願っていました。「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」これが神さまの約束です。

20251026日 週報より

2024年9月29日日曜日

誰が一番偉いか

聖書箇所 マルコによる福音書930-37

しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。       マルコによる福音書932

1.二度目の受難予告

イエスさまはここでもう一度、ご自身の受難について弟子たちに教えられています。しかし弟子たちはイエスさまの言葉を真剣に受けとめず、尋ねもしませんでした。それが彼らの期待とは全く違う、受け入れ難い内容だったからです。しかしこのようなことは肉の思いから来るもので、霊が育てられる機会を自ら手放すことになります。霊的な導きに気づいたならば、無視や拒否ではなく、素直に従うことが大切です。それが神さまに喜ばれ、祝福をいただく道だからです。

2.一番偉い弟子は誰か

受難予告の話題を避けて、弟子たちは「誰がイエスさまの次の位に就くのか」という肉の欲を満足させる話で盛り上がります。イエスさまは、そんな弟子たちを正しい霊的判断ができるように導かれています。「神さまに一番高いと見られたかったら、肉の目で一番低い人になって、仕えなさい」と教えます。さらに子供を受け入れることが、わたし(イエス)と父なる神を受け入れることだと言われました。

3.霊が育てられる歩み

イエスさまは、当時社会的に無価値と見られていた子供を真ん中にして教えられました。これは私たちへの教えでもあります。たとえば、イエスさまの受難告知のように肉の思いでは受け入れ難いことが示されたとします。それでも主にあって子供たちを受け入れるように、肉の思いから離れて、示された霊的事実を受け入れるようにと言われているのです。それが、私たちの霊を育てるために神さまが用意されたものと信頼して、受けとめ、また受け入れていくのです。そうすれば、肉の思いから解放されて、霊が育てられる歩みとなります。

2024929日 週報より