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2025年12月21日日曜日

遠い昔からの神のご計画

聖書箇所:イザヤ書431-7

恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。 イザヤ書431

1.恐れる民

イスラエルの民は神さまから心が離れて、強国アッスリヤの脅威を恐れていました。神さまは預言者イザヤを通して神に立ち帰るよう語られましたが、民は聞こうとしませんでした。それでも神さまは、不安と恐れの日から民を解放すると約束されました。その約束はイエス・キリストによって実現します。これが神さまのご計画であり、このイエスさまのご降誕を祝うのがクリスマスなのです。

2.何を恐れるか

私たちが本当に恐れなければならないのは、争いや死そのものよりも、死後になされる神さまの裁きです。その裁きでは小さな罪も見逃されません。人のせいにしてしまう自己中心も罪とされます。人は皆そのままでは天の御国に入れないのです。そのために神さまはイエスさまをお送りくださいました。イエスさまの十字架は、どんな罪にも有効であり、信じる者にはすべての罪が赦されるのです。

3.恐れるな

マリヤは結婚前に神さまによってイエスさまを身ごもりました。当時、結婚前の妊娠は死刑というきまりでした。命の危険がある中でも、マリヤは御使いから「恐れるな」と告げられ、神さまを信頼し、神さまにすべてを委ねました。この「恐れるな」は、マリヤだけでなく、イエスさまを信じるすべての人への言葉です。イエスさまにつながる者は、神さまのご計画に入れられます。それは一人ひとりにとっての喜びの計画であり、神さまの完全な守りと平安の中に生かされる歩みです。だから恐れる必要はありません。

20251221日 週報より

2025年12月14日日曜日

神のご計画を受け入れたマリヤ

聖書箇所 ルカによる福音書126-38

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉 どおりこの身に成りますように」。ルカによる福音書138

1.奇跡を受け入れたマリヤ

マリヤは結婚前にもかかわらず、突然御使いから「聖霊によって子どもが与えられる」と告げられます。御使いは、年老いたエリサベツに子どもが与えられた事実を示し、「神には不可能はない」と伝えます。マリヤはエリサベツのことを思い、自分に起きていることも神さまの御業として受け入れました。そして神さまを全面的に信頼する信仰を示しました。

2.神さまに委ねて進むマリヤ

結婚前のマリヤは妊娠が知られると死刑になる危険がありました。婚約者ヨセフのことや将来のこともとても心配です。しかし彼女は不安を訴えるより、御使いの「主があなたと共におられます」という言葉を握りしめ、神さまに委ねる道を選びました。この後マリヤはエリサベツを訪ね、彼女から大きな励ましを受けます。そしてすべてを受け入れ、神さまを賛美して前に進む決心を固めます。

3.神さまのご計画を一番にしたマリヤ

マリヤは危険と不安を抱えながらも、「お言葉どおりこの身に成りますように」と告白し、神さまのご計画を優先しました。死の危険に直面しながらも、神さまに従う姿勢を貫きます。神さまはマリヤのように神さまのご計画を一番とする者に豊かに応え、必要を満たしてくださいます。私たちも神さまによって救われ、神さまのご計画に置かれています。自分の弱さを恐れずに、御心を一番として従えば、想像もできないような祝福が与えられます。

20251214日週報より

2025年12月7日日曜日

神のご計画に導かれて

聖書箇所 ルカによる福音書15-25

「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。ルカによる福音書125

1.祭司ザカリヤ

イスラエルの人々は、長い支配と税に苦しんでいました。人々は聖書に約束されている救い主と預言者エリヤの再来を待ち望んでいました。祭司ザカリヤと妻エリサベツは敬虔な祭司の家系でした。しかし高齢になっても子どもが与えられず、それが重荷となっていました。そしてザカリヤには、戸惑いやあきらめが生じていました。

2.ザカリヤの不信仰

ザカリヤは御使いから、エリヤの再来となる男の子の誕生を知らされます。彼は神さまの前に正しく、十分な聖書の知識もありました。しかし信じられませんでした。彼の口がきけなくなったのは罰ではなく、神のご計画を悟るための神さまのあわれみでした。私たちに起こる好ましくない出来事も、神さまの祝福につながる神のご計画です。神さまを信頼し、受け入れるように招かれているのです。

3.ザカリヤの確信

ザカリヤは妻エリサベツのお腹が大きくなるのを見ながら、神のご計画と導きを確信していきました。子どもが与えられて「恥が取り除かれた」と語るエリサベツの姿も、神の深いあわれみを示しています。人生の苦しみにも一人ひとりへの神のご計画があります。祈りによって神さまに近づく時、恐れは平安に変えられます。そして神の御子イエスさまが私たちの重荷を負ってくださいます。そんなイエスさまのご降誕を祝うクリスマスをともに喜びましょう。

2025127日 週報より

2025年4月20日日曜日

十字架で死なれたイエスさま

聖書箇所 ヨハネ 1212-13節、ヨハネ1913-15節、イザヤ535-7節、イザヤ5311節他

さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。ペテロ第一の手紙224

1.民の心変わり

エルサレムの人々はイエスさまを大歓迎しました。しかしわずか5日後、人々はイエスさまを「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」と叫ぶのです。人々はローマ帝国の支配から解放してくださる強い救い主を求めていました。しかし、権力者たちの前にあまりに弱弱しいイエスさまの姿を見て、裏切られた気持ちが生じたのです。しかしこれもすべては神さまのご計画でした。

2.イザヤの預言

私たち人は神さまを無視して、おのおの自分勝手に生きてきました。これが罪ある人の歩みです。けれども、そんな私たちの罪だらけの生き方(不義)を神さまはイエスさまの上に置かれました(イザヤ53:6)。そしてイエスさまは私たちの罪が赦されるために自ら十字架に架かり、死んでくださいました(イザヤ53:11)。すべてはイザヤの預言のとおり、神さまのご計画に従ってなされたことでした。

3.十字架の意味

イエスさまがなされた人を罪から救う業が十字架です。それは自動的に人を罪から救うものではありません。まず十字架の事実を受け入れ、神さまを無視して歩んでいた自分の罪を認めます。そして悔いあらためます(世から神さまへの方向転換をします)。イエスさまの十字架が自分の罪の救いのためであったと信じて受け入れることによって、この救いが自分のものとなるのです。だれでも信じる者は救われます。


2025
413日 週報より