2022年6月19日日曜日

 愛される父

 「そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。」                                                                                                                        コロサイ人への手紙317

聖書は世の父親に語ります。「夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない(コロサイ3:19)。」「父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから(コロサイ3:21)。」父親は妻を愛し、決して妻につらくあたらない。父親が頑固で高圧的、自分中心で、妻を愛さず、また子どもの言い分を全く聞かなければ、子どもはいらいらして、やがて落胆し、いじけて父親に期待しなくなるでしょう。

聖書は、このような愛に欠ける、また自分中心からくる行動やその心をも罪とします。罪は、人が自分では消し去ることのできないものです。しかし、聖書はイエス・キリストを信じれば、すべての罪が赦されると約束しています。信じたらすべて解決し、愛される父親になれるかと言えば、残念ながらそうはいきません。信じても尚、残される欲や自我で自分中心の思いが出てくるからです。では、信じても意味がないのでしょうか。そんなことはありません。

コロサイ人への手紙315-17節では、信じた人々が、教会でお互いの違いを認めながら愛を実践するようにすすめられています。 相手への発言や行動にいつもイエスさまへの感謝の心といただいた愛を挟み込んでいくのです。聖書は父親に、仕事だけではなくて、イエスさまへの感謝の心で妻を愛し、子どもを育て家庭を保つ役割があるのだと教えています。そしてそんな父親に神さまは豊かに報いてくださり祝福を与えてくださり、愛される父としてくださるのです。

619日 週報より