たましいの牧者
聖書箇所 ペテロの第一の手紙2章24-25節
あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。 ペテロの第一の手紙2章25節
1.いやし主イエスさま
イエス・キリストが十字架にかかってくださったのは、私たちの罪を私たちに代わって背負ってくださるためでした。イエスさまが受けてくださったその傷によって、罪でボロボロの私たちのいのちが完全に癒され、整えられて正しくされたのです。神さまの前に正しくあって人ははじめて真の平安をいただくことができます。そしてそれが人として最も幸いで最良の生き方となります。
2.たましいの牧者イエスさま
イエスさまは私たちの羊飼いであり、私たちはその羊です。羊は弱い生き物です。目がほとんど見えません。外敵に襲われた時、戦うすべもありません。私たちはいかに強がっていても自分1人では生きていけない弱さがあるのではないでしょうか。自分で自分を完全に救うことのできない者なのです。イエスさまは羊である私たちをいのちがけで守り、こころに安らぎをくださいます。そしてたましいを通して肉としての必要も満たしてくださる私たちの羊飼いです。
3.たましいの監督イエスさま
ここの「監督」の意味は、さまざまな配慮をし、世話をする人と言う意味です。イエスさまは、弱さと迷いやすさを持っている私たちを正しく導く世話係となってくださいます。私たちのできない部分、弱さにも十分な配慮をしてくださり、愛とあわれみで満たして支えてくださいます。イエスさまは、“
わたしのみもとが、あなたのいるべき場所です。”と言って愛で取り囲み安らぎを与えてくださるのです。
2023年7月9日 週報より