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2024年2月11日日曜日

神さまの時を知る

聖書箇所 マルコによる福音書3章7-12

それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。                                                           マルコによる福音書310

1.イエスさまにさわろうとした群衆

人々はいやしの力をいただこうと、先を競ってイエスさまに触ろうとしていました。ここには人々の自分本位の思いと傲慢さが描かれています。マルコは5章で、イエスさまのみ衣にさわって病が癒された女性のことを紹介しています。彼女はイエスさまの御力を信じて恐る恐る触れました。そこには彼女の信仰があり、傲慢さは見られません。この箇所からも「私の思うようにしてほしい」という自分本位の思いは信仰ではないことが示されています。

2.押し寄せた群衆

イエスさまは小舟を用意させました。我先にと群衆がイエスさまに触わろうとして、ドミノ倒しになる事故を避けるためでした。群衆心理によって群衆行動が起こります。それには人間の尊厳を失わせる怖さがあります。私たちは信仰者として、また神さまに愛されている器として、人の尊厳を重んじる生き方をしたいと思わされます。

3.神さまの時とお心を知る

人の尊厳を重んじるにはどのようにしたらよいでしょうか。神さまのお心と神さまの時を知るイエスさまは、いつも先の先までの状況を読まれて、落ち着いて行動されていました。私たちはイエスさまのように神さまのお心と神さまの時をすべて知ることはできません。世の噂に惑わされ、群衆心理にも巻き込まれやすい弱さがあります。その上、自分本位な主張も出てきます。だからこそ真理と時を知り、責任を持って導かれる神さまに全面的に信頼を寄せていくのです。それが信仰者としてまた人の尊厳を重んじる人としての立ち位置です。

2024211日 週報より