Sunday, January 2, 2022

 ふたりの息子の父

 

「しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。        ルカによる福音書15:32

 

私たちは、聖書が伝えるまことの神さまを神さまとせず、神さまから見れば、このたとえ話の弟息子のように放蕩していました。聖書は、神さまを無視して歩む歩みを罪といいます。神さまは私たちに必要な賜物や環境を与えてくださっています。しかし、私たちは、世の価値観で判断して、「何も与えられていない」と文句をいう兄息子のようでもありました。神さまの愛を一心に受けていても、気づかずに他人への怒りに満ち、自分本位で愛に欠ける者でした。私たちは皆、父なる神さまの前に罪ある者で、「あなたのむすこ」と呼ばれる資格のない者でした。しかし、神さまは、私たちの罪が赦され、私たちが神さまのもとに戻れるようにその道を備えてくださいました。それが、イエス・キリストの十字架でした。神さまは、ご自分のひとり子イエスさまのいのちさえも私たちのために差し出してくださったのです。そして、放蕩し、頑なで愛のない私たちをいつ戻るか、いつ戻るかと待ち続けてくださっています。そうして、神さまに立ち返る私たちには、遠くから走り寄ってきて抱きしめてくださるのです。

新しい年の初めにあたって、弟も兄もなく、だれであってもどんな状態でも大きな愛で受け入れ、抱きしめてくださるこの父なる神さまを深く心に刻んで、信頼を置きましょう。そして今年あなたに何が起こったとしても、「子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。」と言ってくださる愛なる神さまから、決して離れることのないように歩んでまいりましょう。

2022年1月2日 週報より