Sunday, January 9, 2022

 御手にゆだねます 

「わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。」                                             詩篇 315

ダビデは、肉体の衰え、罪の意識、突然の環境の変化、友人の裏切りや誤解、壊れた器のように忘れ去られる等々の苦しみを記しています。そして大きな苦しみの中で、自分の経験、自分の知恵、自分の力、自分の地位や富そして友の助けも彼自身の助けとはならないことに気づきます。ふだん私たちが頼りにしているものは、苦しみの時に本当の助けにはならないという現実が明らかにされているのです。私たちは、自分の力を尽くしても、尚解決できないものがあることを認めるべきでしょう。私たちは、いのちも時も支配できません。すべては、神さまの御手のうちにあるのです。神さまは、イエスさまの十字架の死によって、私たちへの愛と罪からの救いの道を示されました。その真実を握りしめ、神さまを頼りにしてゆだねるようにと導いておられます。サーカスの空中ブランコの真のスターは、華やかな飛び手ではなく、受け手なのだそうです。受け手がどんな状態でも飛び手を離さないという信頼があって、飛び手が空中に飛びだしていくことができるとのこと。神さまは、私たちのためにご自分のひとり子イエスさまのいのちをも手放して、その両手を広げて、私たちの差し出す手をつかもうと待っておられます。この神さまにすべてを信頼して飛び出すこと、これが「ゆだねる」ということです。私たちが神さまの手をつかもうとして準備する必要はありません。私たちがこれこそ頼りだと思い、今握りしめているものを手放して飛び込むだけです。そのようにして、神さまの御手にゆだねた信仰者の歩みこそが、神さまにあって強く、また、雄々しい歩みなのだとダビデは言うのです。「すべて主を待ち望む者よ、強くあれ、心を雄々しくせよ。」詩篇3124節。 

202219日 週報より