日曜日の安息とは
聖書箇所 マルコによる福音書2章23-28節
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が 安息日のためにあるのではない。 マルコによる福音書2章27節
1.律法に縛られたパリサイ人
弟子たちは麦の穂を取って、手でもんで殻をはがして食べました。パリサイ人たちは、それが安息日にはしてはならない収穫の仕事だと非難します。弟子たちの行為を指摘した人々は、きまりを守ることに必死でした。そして律法ときまりに縛られて奴隷のようになっていました。私たちは聖書のお言葉に対して、「~でなければならない」と縛られてはいけません。イエスさまの似姿を求めながら神さまがよろこばれる方に自ら喜んで従って行く、そんな歩み方が大切です。
2.人のための安息日
イエスさまは、「安息日は人のために設けられたものだ」と言われました。旧約聖書にその本質が記されています。安息日は神さまに愛され、守られている民のしるしでした。そして週に1度の精神的ならびに肉体的な休みの時として与えられています。その日には、霊的に養ってくださる神さまに感謝して、自分自身を差し出すようにするのです。私たちも週に一度喜んで、霊とまことをもって自分自身を礼拝でお献げする信仰者であるようにと教えられています。
3.安息日と礼拝
私たちは日曜日に礼拝をお献げします。それは日曜日が、安息日の主イエスさまの十字架と復活を宣べ伝えるのに最も相応しい日だからです。そして神さまは肉体的、精神的、霊的に安息を得るようにと招いておられます。時に事情で礼拝できないこともあるでしょう。しかし裁くのは神さまの御心ではありません。礼拝では神さまの安息を重んじて、世のこと以上に神さまに心を向けることが何よりも大切です。それが神さまの愛に応え、神さまに喜ばれることになります。
2023年1月28日 週報より