2024年3月24日日曜日

自分にもあるみにくい心

聖書箇所 マルコによる福音書1516-20

こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた。それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出した。      マルコによる福音書1520

1.イエスさまをからかった兵士たち

兵士たちは、イエスさまに王の格好をさせ、いばらのかんむりをかぶせ、紫の衣をはぎ取り、葦の棒で頭を叩き、つばきを吐きかけます。自分の快楽のために人へのいたぶりを楽しむという彼らのみにくい心があらわになっています。聖書はこれが人間の本質であると示しています。罪は人を思いやる心を失わせ、自分の快楽のためにどこまでも残忍でみにくくなれる心を引き出すのです。

2.口を開かれなかったイエスさま

兵士たちの軽べつやからかいも神さまのご計画でした。イエスさまはそれをご存じでしたので抵抗されませんでした。ここで見られる兵士たちの言動は、私たちの中にもある罪の姿です。イエスさまは、そんな私たちの罪を受け入れて、苦しんでくださいました。そして私たちのみにくい心が、神さまの愛に満たされるようにと黙って耐えてくださいました。私たちの中にもある兵士たちと同じ心を見つめながらもいのちをささげてくださるほどに愛なるお方がイエスさまです。

3.みにくい心と自己中心

救いのみわざによってイエスさまは、私たちをみにくい心からも自由にしてくださいました。みにくさは私たちの自己中心の罪からくるものです。この世に生きる私たちには、自己中心が染みついているので、そこから出る悪い心にも気づき難いのです。しかしイエスさまは、自己中心の思いを神さま中心の思いに変えてくださいます。もしみにくい心が出てきても、信じた私たちはその心をまるごとイエスさまに明け渡すことで、みにくさから解放されるのです。

2024324日 週報より