2023年4月23日日曜日

幸いな生き方

聖書箇所 ペテロの第一の手紙24-5

この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ                                                                                     ペテロの第一の手紙25節より 

1.生ける石を受け入れる

ペテロは、イエス・キリストが尊い生ける石だと言います。この石とは建物の全体を支える要の石です。この世になくてはならない存在として遣わされたのがイエスさまでした。しかし当時のユダヤの人々からは都合の悪い石として捨てられました。ペテロは、「いかに人々が避けようとも、イエスさまの御もとに来て信じて受け入れなさい。神さまのいのちにあふれる生ける石となりなさい。」と言います。

2.生ける石になる

生ける石になるとは、イエスさまを信じて受け入れて、神さまのお心を受け入れて歩むことです。それにはまず、礼拝を喜ぶことです。礼拝は、世の思いから離れ、よごれた5つの服を捨て置いて、まことの愛で愛するように世に送り出される場です。また、自分の思いから出発する歩みをやめて、神さまの器として用いてくださいと自分を差し出す場です。礼拝を中心にした歩みをしているならば、神さまが私たちを生ける石にしてくださいます。

3.霊の家になる

ペテロは生ける石になるだけではなく、霊の家を建て上げることが目的だと言います。霊の家とはイエスさまを信じ受け入れて、ともに礼拝を献げる人々の集まり、つまり教会です。一人一人が、イエスさまを主として天の御国に迎え入れられる者同士です。そこには上下関係はなく、自分と人を比べて生きる必要もありません。まことの愛でお互いをいたわり合い、支え合い、励まして育て合っていく関係です。これこそ人として最も幸いな交わりであり、幸いな生き方です。

2023423日週報より

2023年4月16日日曜日

神さまの力をいただく

聖書箇所 ペテロの第一の手紙21-3

今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。                                                                                                     ペテロの第一の手紙22

1.だから

21節の「だから」は、122節の内容とつながっています。イエスさまを信じて多くの恵みをいただいた者は、その状態を保ち、兄弟姉妹を真の愛で愛し合うように勧められています。しかしこの地上においては、サタンの執拗な誘惑の中で歩んで行くことになるので、ペテロは「だから」と言っているのです。

25つを脱ぎ捨てて

ペテロは、脱ぎ捨てるべき汚れた5つの服について語ります。  あらゆる悪意:自己中心、自己保身からの責任転嫁。相手に危害を加えようとする心です。あらゆる偽り:偽りは人の持って生まれた本性です。ここから偽りの言葉と行いが生まれます。偽善:本人とは全く別の人間を演じて見せることです。そねみ:ねたみです。相手をうらやむだけではなく、憎んでおとしめたい心も含まれます。いっさいの悪口:相手を悪く言う言葉です。これらをいつも意識して、口から出さず、行動しないようにと祈り願っていくことが大切です。

3.霊の乳を慕い求める

次にすべきこととして、ペテロは「霊の乳」を慕い求めなさいと言います。それは、乳飲み子が母乳をむさぼって、飲み尽くそうとするようにみ言葉を慕い求めていくことです。そしてみ言葉をそのまま素直に受け入れる時、それが神さまの力に変換されるのです。これは頭で理解しているだけでは何の役にも立ちません。私たちは毎日欠かさずに、少しでも数分でも、また同じみ言葉でもいい、乳飲み子のようにみ言葉をいただいて神さまの力といたしましょう。

2023416日 週報より

2023年4月9日日曜日

イエスさまの復活

聖書箇所 ヨハネによる福音書2011-18

わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。                                                                                           ヨハネによる福音書2017

イースターは、イエス・キリストの復活をお祝いする日です。

1.イエスさまの復活を信じる

日曜日の朝、マグダラのマリヤはイエスさまのお体がないのを見て、悲しみでいっぱいになります。私たちは悲しみや恐れ、落胆などで霊の目がふさがれて神さまのお心が見えなくなります。復活されたイエスさまは、それをよくご存じの上で丁寧に導かれています。イエスさまの復活に気付いたマグダラのマリヤは何と幸いであったでしょう。私たちもイエスさまの復活を信じている幸いを覚えましょう。

2.イエスさまの復活を知る

弟子たちは、イエスさまの死に失望して、逃げ隠れしていました。もしもイエスさまの復活が事実でなければ、そんな弟子たちが、迫害の中でいのちをかけて伝道することなどできなかったでしょう。キリスト教も教会も消え去っていたはずです。イエスさまの復活は永遠に生きるお方としてのよみがえりです。それは、聖書のお言葉どおりに私たちに永遠のいのちと栄光の体が与えられることの保証なのです。

3.復活のイエスさまにお会いする

マリヤは実際に復活されたイエスさまお会いしました。私たちは、天のイエスさまに直接お会いすることはできません。しかしイエスさまが私の罪を赦すために十字架にかかって死なれ、3日目によみがえり御父のもとに行かれたことを信じる時に、霊において復活のイエスさまにお会いしているのです。このお方が私たちを永遠に守り、助けと導きを与え続けてくださることを確信できるからです。このことを喜び、感謝をもってイースターをともにお祝いいたしましょう。

202349日 週報より