2023年7月16日日曜日

妻たちよ、夫たちよ

聖書箇所 ペテロの第一の手紙31-2

同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。         ペテロの第一の手紙31

1.夫への妻の証し

当時、妻は夫の所有として低く見られていました。そんな妻たちが信仰を持ち、どのように夫に証しをするのかが記されています。証とは見えない神さまを知り理解できるようにすることです。夫の目に映る妻の様子に喜ばしい変化があれば、それが夫の興味を引くものとなって、証しとなるということなのです。

2.夫に仕えること

聖書が妻に勧めるのは夫に仕えなさいということです。それは、夫を自分の思いを満たしてくれる相手として要求するのではなく、神さまが合わせてくださった伴侶として大切にするということです。神さまのあわれみがなければ、今の私の存在はないとの思いで神さまと、また夫に仕えて歩む姿を神さまが証として用いてくださるのです。さらに外見を気にし過ぎないで、内側を御霊によって飾るようにすれば、神さまが夫の魂を神さまのあわれみの中に置いてくださいます。

3.夫に対する勧め

ここでは夫に対して女性が平均的な体力、とくに瞬発力において男性よりも弱い器であると理解して、妻に配慮することを求められています。夫は女性の特質を受け入れて、妻に対する尊敬と思いやりの心を持つことが大切だと教えられています。

すでに互いイエスさまを信じた夫婦は、夫に仕えなくてもよい、妻に配慮をしなくてもよいというわけではありません。また、最も近い夫婦の関係から、親子や職場の人間関係にあてはめて考え、実行していくことも神さまは願われています。

2023716日 週報より

2023年7月9日日曜日

たましいの牧者

聖書箇所 ペテロの第一の手紙224-25

あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。              ペテロの第一の手紙225

1.いやし主イエスさま

イエス・キリストが十字架にかかってくださったのは、私たちの罪を私たちに代わって背負ってくださるためでした。イエスさまが受けてくださったその傷によって、罪でボロボロの私たちのいのちが完全に癒され、整えられて正しくされたのです。神さまの前に正しくあって人ははじめて真の平安をいただくことができます。そしてそれが人として最も幸いで最良の生き方となります。

2.たましいの牧者イエスさま

イエスさまは私たちの羊飼いであり、私たちはその羊です。羊は弱い生き物です。目がほとんど見えません。外敵に襲われた時、戦うすべもありません。私たちはいかに強がっていても自分1人では生きていけない弱さがあるのではないでしょうか。自分で自分を完全に救うことのできない者なのです。イエスさまは羊である私たちをいのちがけで守り、こころに安らぎをくださいます。そしてたましいを通して肉としての必要も満たしてくださる私たちの羊飼いです。

3.たましいの監督イエスさま

ここの「監督」の意味は、さまざまな配慮をし、世話をする人と言う意味です。イエスさまは、弱さと迷いやすさを持っている私たちを正しく導く世話係となってくださいます。私たちのできない部分、弱さにも十分な配慮をしてくださり、愛とあわれみで満たして支えてくださいます。イエスさまは、“ わたしのみもとが、あなたのいるべき場所です。と言って愛で取り囲み安らぎを与えてくださるのです。

202379日 週報より 

2023年7月2日日曜日

いっさいをゆだねて

聖書箇所 ペテロの第一の手紙221-23

キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。                                                                ペテロの第一の手紙221

1.イエスさまの正しさ

イエスさまは、罪を犯さず、その口には偽りがありませんでした。しかし指導者たちは、ねたみからイエスさまへの反発を強めていきます。そのときイエスさまはののしられても、ののしりかえすことはせずに父なる神さまに全てゆだねておられました。ここで私たちがイエスさまから見習うことは、神の子としての完全な正しさではありません。自分の思いよりも神さまのお心を優先して、神さまに全ておまかせしたイエスさまのように歩んで行くことなのです。

2.自分の思いを抑える

私たちは自分本位で、自分の思いからなかなか離れられません。そこで自分で決めて進もうとするときにはまず神さまを恐れ、神さまの前に静まって祈り、神さまのお心を求めることが大切です。またその前にそれができるように祈り、神さまに心を向けていくのです。同時に聖霊の助けにも頼ります。そして神さまのお心の方が正しいと信じ切って、自分の思いを抑えていきます。このようにして神さまにゆだねていく歩みをイエスさまから学ぶようにと教えられているのです。

3.苦しみを通して

神さまは、意味なく信仰者を苦しみに置かれることはなさいません。人は苦しみの中にある時、自分の方が正しいのだという思いも引き出されてきます。神さまはそんな私たちの自我の心が神さまの前に砕かれる機会を私たちに与えておられます。そしていつも湧き上がってくる自分の思いを断ち切って、神さまのお心を優先し、自分よりも神さまの方が正しいと信じ切る信仰で歩むように導かれています。これが私たちに望まれている神さまに全てゆだねる歩みなのです。

202372日 週報より